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四国中央市

坂上羨鳥(1653~1730)

 俳人。庄屋。宇摩郡中之庄村(現、四国中央市中之庄町)出身。本名は半兵衛正閑。松山・今治・丸亀・高松など、諸藩の御用金調達方を務めており、仏道信仰と商用を兼ね上坂(じょうはん)した際、池西言水・北条団水・椎本才麿(しいのもとさいまろ)ら上方談林派の指導を受ける。句集『簾(すだれ)』、『たかね』、『花橘』を刊行し、その親交は談林派のみならず、貞門派、新風の蕉門にまで広がる。また、信仰心も厚く、河内国清水村(現、大阪府)地蔵院の蓮体を尊敬し、中之庄村持福寺をはじめ、河内国地蔵院や讃岐国(現、香川県)金刀比羅宮など、多くの寺社に寄進を続けた。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

【福生庵について】
 福生庵は、坂上家の廟所として建てたもので、近くには坂上家一族の墓碑及び羨鳥夫妻の墓碑があり、今も地方の人は「おせんちょさん」とよんでいる。(『福生庵説明板』より)

①福生庵

①福生庵

四国中央市中之庄町140