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四国中央市

合田福太郎(1860~1921)

 土居村長・県会議員・衆議院議員。宇摩郡土居村(現土居町)で精米・瓦製造業を営む合田基次郎の長男に生まれた。小学校を終えて尾崎山人(星山)の松菊舎に入り、頭角を現し星山の高弟となり天口の号を与えられた。明治12年10月愛媛県師範学校に入り、15年卒業後郷里の小学校で訓導兼校長を務めた。明治22年町村制の実施に伴い初代の土居村村長に推され、24年11月には後援者山中好夫に譲られて県会議員になり、31年まで在職した。明治31年3月進歩党から推薦されて第5回衆議院議員選挙に第4区から立ち当選したが、同年8月の衆院選挙には出馬を辞退して、32年9月県会議員に返り咲き郷里関川の大水害に対する県費復旧運動を展開した。35年8月の第7回衆議院選挙で国会に帰り、36年3月、37年3月の選挙で連続して当選、憲政本党一国民党に所属して犬養毅と親交があった。政界が次第に党利党略に終始するのを嫌い、明治41年5月の衆議院選挙を機に政界を退き、故郷に帰り悠々自適の生活に入ったが、大正7年村民から要請されて再び土居村の村長を勤め、青年たちを教導することを楽しみにした。大正10年5月29日病が悪化して61歳で没した。その墓碑銘は犬養毅が記した。(『愛媛県史 人物』より)


①関川改修復興記念碑

①関川改修復興記念碑

四国中央市土居町藤原5-10、八坂神社境内