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西条市

十河信二(1884~1981)

 国鉄総裁。新居郡中村(現、新居浜市)出身。旧制西条中学校(現、県立西条高等学校)、第一高等学校(現、東京大学教養学部)を経て、明治42(1909)年、東京帝国大学法科大学(現、東京大学)を卒業した。大学卒業後は後藤新平の勧めで鉄道院に入り、鉄道院参事、鉄道研究のためのアメリカ留学の後、経理局会計課長を経て帝都復興院書記官に出向、鉄道省経理局長を最後に大正15(1926)年、退官した。退官後は南満州鉄道株式会社の理事を務めるなど満州(現、中国東北部)で過ごし、また、懇請されて西条市長を務めた。
 昭和30(1955)年、同郷の友人らに要請されて第4代国鉄総裁に就任し、2期8年在任した。その間に国鉄の体質改善を図り、東海道線の輸送力の行き詰まり打開策として世界に誇る新幹線構想を打ち出した。様々な困難を解決しながら開通に導いたが新幹線建設予算の大幅な超過などの責任を取って開通日を目前に退任した。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)




①十河信二記念館前の胸像

①十河信二記念館前の胸像

西条市大町798-1(伊予西条駅横)

②十河信二記念館

②十河信二記念館

西条市大町798-1(伊予西条駅横)

③四国鉄道文化館(北館)

③四国鉄道文化館(北館)

西条市大町798-1(伊予西条駅横)

④十河信二の生家跡の碑

④十河信二の生家跡の碑

新居浜市中村2丁目8-49(上部乳児保育園内)