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今治市

矢野七三郎(1855~1889)

 伊予ネルの創始者。野間郡宮脇村(現、今治市大西町)出身。今治では江戸時代、綿の栽培が盛んで、白木綿が全国で売られていたが、明治に入ると、関西地方の安くて質の良い製品に押され、さらに外国からの輸入によって白木綿は売れなくなった。七三郎は、家業の海運業や酒造業に携わっていたが、今治特産の白木綿の衰微を憂い、家業を弟に譲って白木綿の生産に従事して新しい織物の方向を探求し、紀州ネル(平織紀州ネル〔平織りの両毛ネル〕)に着目した。
 明治18(1885)年、同志3名と和歌山へ赴き、ネル工場で働いて製綿技術を学び、翌年1月、再度単身で現地へ行って製織技術を研究して紀州ネルを改良した「伊予ネル」という新製品を生み出した。そして染色、毛掻き職人を各2名雇い、機械8台を購入して帰郷し、同年3月、今治に綿ネル工場を建設して製織を開始した。工場の完成直前に、暴風雨で倒壊するという不運もあったが、これに屈せず努力し、伊予ネルは次第に認められるようになった。七三郎は、伊予ネルの製造技術を周囲の人々に惜しまずに教えて奨励したため、今治地域に織物産業が定着する契機となった。
 明治22(1889)年、凶刃に倒れ、非業の死を遂げた。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

【追記】
 矢野七三郎墓所:今治市大西町宮脇(丸山墓地)

①矢野七三郎像と頌徳碑

①矢野七三郎像と頌徳碑

今治市通町3-1(今治城吹揚公園内)