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今治市

武田義孝(1911~1943)

 愛媛県人初のオリンピック選手。明治44(1911)年、越智郡朝倉村(現、今治市)で生まれる。小学校卒業までを朝倉村で過ごし、松山商業学校(現、松山商業高等学校)に進学し、体操選手として活躍した。その後、日本体操学校(現、日本体育大学)に進学、教員になるための勉学に加え、器械体操のトレーニングに励み、卒業後は、教師として東京都内の中学校で体育を教えながら、体操に打ち込んだ。
 昭和7(1932)年、日本は、第10回オリンピック・ロサンゼルス大会から体操選手を派遣することとなり、日本代表として出場することになった。しかし、初めての出場と、慣れない海外での大会のため、結果はすべての種目で散々の成績となった。義孝は、帰国後さらにトレーニングに励み、4年後の第11回オリンピック・ベルリン大会に再び出場、日本選手団体操部の主将として選手たちをまとめた。その時の成績は国別男子総合で14チーム中9位、義孝自身も個人総合で111人中43位の好成績を収め、後の「体操王国日本」の礎を築いた。
 しかし病魔が襲い、昭和18(1943)年8月、腎臓病のため33歳の若さで永眠した。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

①上朝小学校跡に建つ顕彰碑Ⅰ

①上朝小学校跡に建つ顕彰碑Ⅰ

今治市朝倉上(上朝倉簡易郵便局、無量寺付近)

②上朝小学校跡に建つ顕彰碑Ⅱ

②上朝小学校跡に建つ顕彰碑Ⅱ

今治市朝倉上(上朝倉簡易郵便局、無量寺付近)

③ロサンゼルスオリンピック出場記念バッジ

③ロサンゼルスオリンピック出場記念バッジ


④ベルリンオリンピック出場記念品

④ベルリンオリンピック出場記念品

Turnen とは体操競技のこと