データベース『えひめの記憶』
今治市
村上壺天子(1887~1984)
俳人。教育者。越智郡大山村(現、今治市吉海町)出身。本名は万寿男(ますお)。愛媛師範学校(現、愛媛大学教育学部)在学中に、村上霽月から俳句の指導を受けた。師範学校卒業後は教師となり、4年目からは地元小学校の校長を務めて生徒の教育に励むとともに俳句にも打ち込み、大正10(1921)年、松根東洋城主催の俳誌『渋柿』の同人となって東洋城を師と仰いだ。
昭和13(1938)年、松山市の余土小学校の校長を最後に31年間の教師生活を終え、退職後は俳句や書画に打ち込み、昭和17(1942)年からは、俳誌『渋柿』の選者となった。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
【粟乃井井戸前の句碑】
粟の井や そこ夏の海 よりの風
【平井駅前の句碑】
茸狩や 浅き山々 女連れ(正岡子規の句、村上壷天子 書)
【吉海町法南寺にある句碑】
葉月汐 秋春佐ま志久 島住みや
(はづきじお あきすさまじく しますみや)
①粟乃井井戸前の句碑 松山市小川(粟井坂大師堂付近) |
②平井駅前の句碑 松山市平井町1402 |
③宇和島真珠貝供養碑の絵 宇和島市築地町2丁目318(宇和島水産物加工センター横) |
④吉海町法南寺にある句碑 今治市吉海町椋名285 |