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今治市

曽我部右吉(1864~1956)

 元治元年~昭和31年(1864~1956)植林治水の功労者。元治元年2月20日越智郡九和村与和木(現玉川町)の庄屋武田弥平太の四男。明治13年桜井村曽我部甚太郎の家を相続。明治23年より20有余年村会議員さらに村長在職15年。郡会議員、県会議員を歴任した。明治31年、玉川村龍岡、鈍川を中心とする荒廃山林2,500haの払い下げを受け、越智郡共有山管理者となり、日高村ほか13か町村共有山組合長として14か年植林造林事業に尽力。その間、重要な国策の一つとして「森林法」が成立し、曽我部の提案で県林務課が創設され、「山林槙樹費補助規程」が制定されるなど、愛媛県が全国有数の造林県となる原動力となった。和歌山県から育苗技術を導入し、明治37年直営林(共有林)、部分林(各町村林)学校林に、それぞれ地質に適するよう松・杉・桧等の植林を推進し、「緑化の父」とたたえられた。大正元年~6年、四阪島煙害問題解決にも努力し、東予4郡長をはじめ農民から感謝された。昭和31年8月4日92歳で死没。玉川町法界寺をはじめ数か所に頌徳碑や胸像がある。また、県人として初めて黄綬褒章を受章した。(『愛媛県史 人物』より)

※ 今治市旧朝倉村の多伎神社(現、今治市古谷甲807-2)奥の多伎池付近にも頌徳碑がある(今後掲載予定)。


①曽我部右吉翁之像

①曽我部右吉翁之像

今治市桜井6丁目2-1(綱敷天満神社境内)

②曽我部右吉頌徳碑

②曽我部右吉頌徳碑

今治市玉川町法界寺(国道317号沿い)