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今治市

飯忠七(1841~1922)

 天保12年~大正11年(1841~1922)天保12年12月、今治藩の御用紺屋「吉田屋」の長男として出生。実業家。若くして舟運の重要性に着目し、家業を弟に譲った忠七は、明治3年20石積(約3トン)の金吉丸を買い入れて、綿替木綿輸送に従事すべく大阪との間に押切船とよばれる早船(順風時には帆走もするが、風待ち・潮待ちをせず櫓を漕いで航行する和船)の運航を開始した。これによって今治産の白木綿の販路は阪神方面に拡大した。その頃ようやく瀬戸内にも姿をみせはじめた蒸気船の将来に注目した忠七は、蒸気船の今治寄港に奔走し、明治9年近江丸の回航を実現させた。また明治8年頃から阪神~新居浜間などに蒸気船の運航を開始した住友鉱山会社汽船部(住友汽船)所有船の今治寄港をはたらきかけ、同汽船部の今治代理店となった。かつて港・今治を代表した「吉忠」回漕店のはじまりである。そのほか、海の難所・来島海峡の通航を安全ならしめるため灯台の建設を提唱するなど「港の恩人」とたたえられた。事績を偲んで「飯忠七翁功績之碑」が今治観光港前の広場に建てられている。忠七は明治17年受洗、終生熱心なクリスチャンであった。大正11年1月80歳で死没。(『愛媛県史 人物』より)



①飯忠七翁功績之碑Ⅰ

①飯忠七翁功績之碑Ⅰ

今治市片原町1丁目2

②飯忠七翁功績之碑Ⅱ

②飯忠七翁功績之碑Ⅱ

今治市片原町1丁目2