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松山市

青地林宗(1775~1833)

 蘭学者。松山城下(現、松山市)で松山藩医の子として生まれた。家業の漢方医学を学んでいたが、14歳のとき京都で西洋医学に出会い、西洋医学を通して自然科学に強い関心を持った林宗は、江戸の杉田玄白の門下生として蘭学(江戸時代にオランダから日本に入った西洋の学術・文化・技術)を修めた。
 一時、松山に帰り家督を継ぐが、その後、大坂・長崎に遊学し研修を積み、再び江戸に出て医者となる。文政5(1822)年に天文方の翻訳方となり、医学・薬学・地理学・物理学・化学の蘭書を勉強し、翻訳や著述に活躍する。林宗の著作の中で最も重要な一冊が、わが国最初の物理学書として高く評価され、その後の様々な学問に大きな影響を及ぼした『気海観瀾(きかいかんらん)』である。林宗は、物理学の考え方が全くなかった江戸時代に分子論や引力、気象現象などについて分かりやすく紹介した。晩年は、水戸藩主に招かれ、洋学の啓蒙にも努めた。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)


①お墓のある来迎寺

①お墓のある来迎寺

松山市御幸1

②青地林宗の頌徳碑

②青地林宗の頌徳碑

松山市御幸1(来迎寺内)