データベース『えひめの記憶』
松山市
河野通有(1250~1311)
鎌倉時代の武将。久米郡石井郷(現、松山市)を領有し、縦淵(たてぶち)城を本拠とする。元寇時に出陣し、九州の御家人らとともに沿岸防備にあたった。伝えられるところでは、弘安の役で石塁を背にして陣取り、「河野の後築地(うしろついじ)」と称賛されるほどの豪胆さで奮戦したといわれる。その勲功により、肥前国神崎荘(現、佐賀県)、山崎荘(現在の伊予市付近と言われている)などに恩賞地を受け、かつて承久の変で京方に味方し衰微した河野家の勢力の回復に、大きな役割を果たした。また、西国の海賊の鎮圧にもあたった。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)