データベース『えひめの記憶』
松山市
秋山真之(1868~1918)
軍人(海軍中将)。松山城下(現、松山市)出身。幼名は淳五郎。陸軍大将の秋山好古は実兄である。東京大学予備門(現、東京大学)から海軍兵学校へ転じ、首席で卒業して少尉となった。明治26(1893)年、イギリスへ渡って巡洋艦「吉野」を回航、翌年、砲艦「筑紫」の航海士となり日清戦争に従軍した。明治30(1897)年、海外派遣士官としてアメリカに留学し、近代海軍戦術を究める一方、米西戦争を観戦して詳細に記録・分析した。帰国後は参謀職を経て海軍大学校の教官となり、体系的な海軍戦術教育を行った。
日露戦争の際には連合艦隊作戦参謀として参戦し、わが国の命運を決定する日本海海戦では、「天気晴朗なれども波高し」の名文を打電し、意表をつく敵前逐次回頭(丁字戦法)により勝利に導いた。俳人の正岡子規は、松山中学校(現、県立松山東高等学校)時代の同級生である。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
【銅像台座の書】
智謀如湧(ちぼうわくがごとし)
元帥伯爵 東郷平八郎 書
【真之の名文を刻んだ石碑】
日本海海戦出撃の際の報告電報
敵艦見ゆとの警報に接し
連合艦隊は直ちに出動
これを撃滅せんとす
本日天気晴朗なれども波高し
皇国の興廃この一戦にあり
各員一層奮励努力せよ
Z旗の信号文
①梅津寺にある銅像 松山市梅津寺町梅津寺駅南(高浜公民館近く) |
②銅像台座の書 松山市梅津寺町梅津寺駅南(高浜公民館近く) |
③真之の名文を刻んだ石碑 松山市梅津寺町梅津寺駅南(高浜公民館近く) |
④秋山真之中将像 松山市歩行町2-3-6(秋山兄弟生誕地) |
⑤秋山両将遺邸之碑 松山市歩行町2-3-6(秋山兄弟生誕地) |