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松山市

川崎九淵(1874~1961)

 能楽師。(太鼓方葛野流)。松山城下の魚町(現、松山市)出身。本名利吉。幼時から喜多流謡曲(きたりゅうようきょく)と葛野流太鼓(かどのりゅうたいこ)を学び、東雲神社の神能において神童との評判をとる。その後、高浜虚子の兄である池内信嘉(のぶよし)の勧めで上京し、葛野流太鼓家元預かり・津村又喜(つむらまたき)に入門したが1年後に死別。しかし、九淵は必死の努力を積み、葛野流の家元代理や家元預かりの重責を担いながら多くの門弟を養成するとともに、芸術院会員に任ぜられ日本能楽会に最高の地位を築いた。
 その芸は重厚峻厳(じゅうこうしゅんげん)、秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)などと評され、能楽界で初めての重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受けた。また、社団法人能楽協会の相談役や能楽三役養成会主席講師などを務めた。高浜虚子と同年で小学校をともに通った。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)