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松山市

丸山定夫(1901~1945)

 俳優。松山市北京町出身。広島を根拠とする青い鳥歌劇団に入団し、各地を巡業。一時根岸歌劇団に加わった後、演劇研究とその発表の場として開設された築地小劇場の第1期研究生となり、第2回公演「狼」で新劇俳優としてデビューした。以後、草創期の新劇の多くの舞台を踏み、個性的異色俳優として人気を博した。代表作に成瀬巳喜男監督の「妻よ薔薇のやうに」(アメリカで初上映された日本映画)や室生犀星(むろうさいせい)原作・木村荘十二(きむらそとじ)監督の「兄いもうと」などがある。その後、徳川夢声らと苦楽座を結成し、「無法松の一生」の松五郎役で激賞された。昭和20(1945)年、苦楽座移動隊(桜隊)を率いて巡回慰問中、広島で原爆に遭い逝去した。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

【追記】
 丸山定夫墓所:妙隆寺(神奈川県鎌倉市小町)