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松山市

押川清(1881~1944)

 プロ野球創設者。宮城県仙台区(現、宮城県仙台市)出身。愛媛県松山城下(現、松山市)出身のキリスト教牧師・押川万義の次男。早稲田大学の野球部の主将として、また強打者として鳴らし、大正9(1920)年、日本最初の職業野球チーム「日本運動協会」の創立に参画した。後に、プロ野球の後楽園野球倶楽部の社長に就任し、第1回の野球殿堂入りをした。冒険小説家の押川春浪は実兄である。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)