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松山市

久松粛山(1652~1706)

 俳人。松山藩家老。松山城下(現、松山市)出身。松山藩第4代藩主・松平定直に仕えて重責を果たす一方、俳諧を好み、その才能を発揮した。31歳のとき、松山に来ていた因幡国鳥取の岡西惟仲(おかにしいちゅう)の門に入り、その後、江戸在勤中に松尾芭蕉・榎本其角(えのもときかく)に俳諧を学んだ。句は其角の句集にも載せられ、定直の俳友として蕉風俳諧を松山に広めた。後に、子規から伊予未曾有の俳人と評される。また、狩野探雪の画に、芭蕉・其角・山口素堂(やまぐちそどう)の発句の賛(添え書き)を求め、松山に持ち帰った「俳諧三尊画賛」の三幅対は逸品とされ、来遊した小林一茶も感激の句をしたためている。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)