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松山市

河端五雲(1699~1772)

 俳人。松山藩士。松山城下(現、松山市)出身。本名は氏房。若くして松山藩5代藩主・松平定英の御側役(おそばやく)となり、享保年間には江戸詰となって常府の番頭といった重職にも就いた。江戸勤務の余暇に、蕉風復興を唱えた佐久間柳居(さくまりゅうきょ)より俳諧を学んだといわれ、中山更互(なかやまこうご)・小倉志山(おぐらしざん)らとともに、松山初期俳壇の中心人物であり、俳壇の発展に貢献した。句集『矢立の露』、『大名竹』に彼の句はまとめられている。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)