俳人。松山藩士。松山城下(現、松山市)出身。京・大坂の俳風を伊予に伝えた。蕉門の広瀬惟然(ひろせいぜん)らと交流があり、芭蕉追慕の意味を持つ『其木からし』を刊行した。晩年は姫路に住み、『鹿子の渡(かのこのわたし)』、『桜雲集(おううんしゅう)』を残している。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)