データベース『えひめの記憶』
松山市
夏目漱石(1867~1916)
英文学者。小説家。江戸牛込馬場下横町(現、東京都)に生まれる。本名は金之助。帝国大学文科大学英文科(現、東京大学)を卒業し、愛媛県尋常中学校(現、県立松山東高等学校)の英語教師として松山に赴任。子規と愚陀仏庵に同居し、俳句に目覚める。ロンドン留学の後、高浜虚子のすすめで「吾輩は猫である」を『ホトトギス』に連載、文名を挙げる。これが機縁で文学生活に入り「坊っちゃん」、「草枕」などを発表する。以後、朝日新聞社に入社し「三四郎」、「こゝろ」などの作品を連載し、文豪として不動の地位を築いた。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
【熊本県と夏目漱石】
松山の中学校教師を務めた後で赴任した第五高等学校(現、熊本大学)構内には、漱石の像や記念碑が残され、当時の教室棟は国の重要文化財に指定されています。また、熊本市内で5番目の住居であった内坪井旧居は現在市の博物館になっており、その庭には漱石の長女筆子が誕生した時に産湯を取った井戸が残され、長女誕生の喜びを詠んだ句碑が建てられています。
【句碑】
安々と 海鼠(なまこ)の如き 子を生めり
漱石句
①愚陀仏庵跡 松山市二番町(全日空ホテルと松山三越の間の道を南へ) |
②松山中学校跡Ⅰ 松山市一番町4丁目3(現、NTT西日本愛媛支店) |
③松山中学校跡Ⅱ 松山市一番町4丁目3(現、NTT西日本愛媛支店) |
④熊本大学構内の漱石の像 熊本県熊本市中央区黒髪2丁目2-39-1 |
⑤旧第五高等学校本校(現、熊本大学資料館) 熊本県熊本市中央区黒髪2丁目2-39-1 |
⑥夏目漱石内坪井旧居 熊本県熊本市中央区内坪井町4-22 |
⑦長女筆子誕生の際に産湯を取った井戸 熊本県熊本市中央区内坪井町4-22 |
⑧井戸脇の句碑 熊本県熊本市中央区内坪井町4-22 |