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松山市

五百木飄亭(1870~1937)

 俳人。政治運動家。温泉郡小坂村(現、松山市)出身。本名良三。小学校入学後、漢籍を河東静渓塾で学ぶ。はじめ、医師を志して明治18(1885)年、県立病院付設松山医学校に入学、その後大阪に出て医術開業試験に合格した。明治22(1889)年、ドイツ語研究のために上京して学生寮「常盤会寄宿舎」に入り、正岡子規らと俳句や小説に没頭するようになり、子規に「一種の天才」と評された。
 明治27(1894)年、飄亭は日清戦争が始まると召集され、看護長として各地を転戦した。その間、飄亭は新聞『日本』に「従軍日記」を約1年間にわたって掲載し、好評を得た。戦争から帰国後、新聞『日本』に入社し、貴族院議長や学習院院長を務めた政治家の近衛篤麿の知遇を得たことにより、政治運動に力を注ぐようになった。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)