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松山市

堀本宜實(1900~1978)

 立岩村長・北条町長・県会議員・参議院議員。明治33年3月15日、越智郡玉川村(現今治市玉川町)の阿部家に生まれた。大正7年麻布獣医畜産専門学校(現麻布獣医大学)を卒業、立岩村の技術員・獣医師として働くうち堀本家の養子になった。昭和5年9月~13年1月立岩村村長、14年7月~15年12月北条町町長を務めて、村政ついで町政の発展を担った。昭和6年9月には県会議員になり民政党に所属して以後3期連続して当選、21年12月まで在職、倉敷紡績北条工場の誘致などに尽力した。この間、17年には県会副議長に選ばれ、県家畜商組合長、獣医師会長や県農業会副会長などを歴任した。また15年12月大政翼賛会県支部が結成されるとその庶務部長に就任ついで事務局長として戦時下翼賛運動の中心として活動した。このため戦後公職追放され、26年解除後自由党県支部の再建に奔走、県議会議員を説得して一本化した功績で支部幹事長になり、政界に復帰した。 28年4月の第3回参議院議員選挙に愛媛地方区から自由党公認で出馬したが革新の湯山勇に敗れた。 31年7月の第4回参議院議員選挙で社会党の三橋八次郎を破り当選、37年7月と43年7月の選挙で再選され、3期18年間国会議員であった。この間、参議院農林水産委員長、参院自民党政策審議会農林水産部長、自民党県支部会長などを歴任、全国農業会議所・県農業会議・県畜産農業協同組合の会長や日本獣医師会の顧問などに就任した。軽妙洒脱な話術と人柄から大衆政治家として親しまれた。昭和49年7月の参議院議員改選を機に政界を引退、50年県功労賞を受けた。昭和53年6月27日、78歳で没した。(『愛媛県史 人物』より)


①堀本宜實翁寿像Ⅰ

①堀本宜實翁寿像Ⅰ

松山市北条辻6(松山市役所北条市所)

②堀本宜實翁寿像Ⅱ

②堀本宜實翁寿像Ⅱ

松山市北条辻6(松山市役所北条市所)