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東温市

仙波秀一(1877~1945)

 仙波家は北方宝泉で代々地域に貢献した家柄である。四代目の浅四郎は、天明8年家族睦者として藩から善行を賞されている。祖父は烏陽といって俳句に親しみ、父慶次郎は川上村四代目の村長である。彼はこうした家系に明治10年1月21日生まれた。北方時雍小学校・北方尋常小学校・松山高等小学校などに学び、岡之坊沢田増恵について四書・漢学を修めた。長ずるに及び東京哲学館々外生、明治法律学校の講義録で家事を手伝いながら独学をした。愛媛師範学校の講習を受け、数年、小学校の教員も勤めた。明治41年、川上村書記、同44年11月より大正8年まで助役、同8年より14年まで村長、昭和8年再び村長となり、昭和16年まで村政を担当した。
 白鬚を豊かにのばした温顔、至誠の人徳、信条のこもった説話はひとしく村民を感銘させた。自治優良村として知事表彰、国民貯蓄奨励局長官表彰などを受け村治の治績を残した。退職後端正な生活を送り、昭和20年4月19日69歳で病没した。(『川内町誌』より)

①仙波秀一翁之像Ⅰ

①仙波秀一翁之像Ⅰ

東温市北方(讃岐街道沿い、東温市消防団第4分団蔵置所隣の公園内)

②仙波秀一翁之像Ⅱ

②仙波秀一翁之像Ⅱ

東温市北方(讃岐街道沿い、東温市消防団第4分団蔵置所隣の公園内)