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久万高原町

井部栄範(1842~1914)

 久万林業の先駆者。紀伊国(現、和歌山県)出身。嘉永5(1852)年、高野山遍照尊院において出家し、関西地方各地の寺で修行の後、師の木島堅州(きじまけんしゅう)僧正の招きにより石手寺に入り、堅州が久万菅生山大宝寺の住職となると師に従って大宝寺の執事となった。紀伊・吉野の林業を知っていた栄範は、久万地方が林業に適していると判断し、師の許しを得て寺の所有地に杉苗3千本を植林した。
 明治7(1874)年、大宝寺が火災により焼失した際、還俗して林業育成に専念し、栄範は首に数珠をかけながら植林に励んだ。明治12(1879)年、菅生村(現、久万高原町)戸長(後の村長)となると各戸に杉苗を配布して林業を奨励し、主産業のない村の活路を造林に求めて今日の久万林業の基礎を作った。また、松山-高知間道路(現、国道33号線)の工事を請け負ったり、久万銀行を創設するなど久万地方の行政や産業の発展に尽くした。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

【追記】
 井部栄範墓所:久万美術館南側の山手

①執事を務めた大宝寺

①執事を務めた大宝寺

上浮穴郡久万高原町菅生2番耕地1173

②井部翁頌徳碑

②井部翁頌徳碑

上浮穴郡久万高原町久万(久万公民館前)