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伊予市

坪内道則(1914~1997)

 プロ野球選手。監督。伊予郡郡中町(現、伊予市)出身。松山商業学校(現、県立松山商業高等学校)で本格的に野球を始め、立教大学に進学した。日本にプロ野球が誕生した昭和11(1936)年、立教大学を中退して大東京(後にライオン軍、朝日軍、松竹ロビンズ)に入団する。第二次大戦が激化し中断となるまでプレーし、戦後、再開されるともと朝日軍の選手と金星(後、大映ユニオンズ)を結成し、監督兼外野手を務めた。その後は中日ドラゴンズ・西鉄ライオンズ(現、埼玉西武ライオンズ)・ロッテオリオンズ(現、千葉ロッテマリーンズ)の選手・監督・助監督・ヘッドコーチ・二軍監督で活躍する。身長164cmの小柄な外野手であったが、攻守走三拍子がそろい、そのガッツあふれるプレーはファンを引きつけた。また、プロ野球史上、初の1,000試合出場と1,000本安打第1号の記録を残している。平成4年、野球殿堂入りした。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)