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伊予市

栗田愛十郎(1860~1923)

 栗田愛十郎は、1860(万延元)年に串の農家に生まれた。愛十郎は、1902(明治35)年、豊田郵便受取所が開設されるとともにその取扱人となり、同38年には豊田郵便局長に任ぜられ、その後の18年間、郵便事業に従事した。設備の改善・事業の拡張等に尽力して数々の功績を上げたため、たびたび表彰を受けた。なお、豊田郵便局が下灘郵便局となったのは1919(大正8)年のことである。
 愛十郎はまた、1904(明治37)年に長浜町の有志らと図って、当時の松山市三津浜や西宇和郡二名津等との間に定期航路を開くなど、運輸事業にも貢献した。
 一方、1913(大正2)年、下浜の若松儀平ら22名の者が共同出資して西宇和郡三机村から巾着網を購入し、三机の三と豊田の豊を組み合わせて「三豊巾着網」と名付けて、大規模ないわし漁を開始した。しかし、この画期的な事業も運営が思わしくなく、借金のために経営が四苦八苦の状態であった。
 彼らの懇望を受けて、愛十郎はこの三豊網の再建にも乗り出した。まず株制度を採用して自分も組合員の一人となり、全組合員に一株ずつもたせ、網は株主の労力で動かして、利益を平等に分配することとした。また、日掛貯金を実施して借金の返済にあてた。
 こうした様々な方策が功を奏して、組合は見事に立ち直ったのである。
 彼は1923(大正12)年に63歳で没したが、組合員たちはその功績を永久に伝えようと記念碑を建立し、その碑文に「三豊巾着網ハ大正二年成立セシモ解散シ悲境ニ迫リ翁ニ救済ヲ乞翁快諾孜々画策激励ヲ加へ連中大ニ発憤シ今日ノ成効ヲ見ル・・・」と刻みこんだ。(『双海町誌 改訂版』より)

①三豊網栗田愛十郎翁記念碑Ⅰ

①三豊網栗田愛十郎翁記念碑Ⅰ

伊予市双海町串(若松造船所付近、旧道へ入る)

②三豊網栗田愛十郎翁記念碑Ⅱ

②三豊網栗田愛十郎翁記念碑Ⅱ

伊予市双海町串(若松造船所付近、旧道へ入る)