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内子町

高畑誠一(1887~1978)

 総合商事会社の創設者。喜多郡内子村(現、内子町)出身。旧制西条中学校(現、県立西条高等学校)に進学し、神戸高等商業学校(現、神戸大学)を卒業後、鈴木商店に入社。大正2(1913)年、ロンドン支店に赴任し、その後、弱冠28歳で支店長に抜擢された。抜群の語学力を生かして幅広い人脈を作り、早くて正確な情報収集に努め、外国人を相手に堂々とした交渉を行った。「カイザー(皇帝)を商人にしたような男」と称された誠一の活躍により、大正6(1917)年、鈴木商店は三井、三菱を上回る日本一の商社の座に着いた。第一次世界大戦後の不況により鈴木商店は倒産したが、台湾銀行などの協力を得て、鈴木商店の貿易部門を引き継ぐ形で日商株式会社(現、双日株式会社)を設立し、日本屈指の総合商社に育て上げるなど、経済界のリーダーとして大きな役割を果たした。
 一方、誠一はロンドン仕込みのゴルフの知識や技能を生かして、日本初の本格的なルールブックの作成やゴルフコースの監修などに尽力し、日本におけるゴルフ界の草分けとなった。また、故郷への愛着も深く、内子町の奨学資金制度の開設や公民館建設資金の寄付、そして愛媛県内への企業の誘致など、故郷の発展に貢献した。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)


◎生家跡の石碑には、「貿易界先覚者」と刻まれている。

①高畑誠一胸像(伊藤五百亀 作)

①高畑誠一胸像(伊藤五百亀 作)

喜多郡内子町内子(内子小学校正門付近)

②生家跡の碑Ⅰ

②生家跡の碑Ⅰ

喜多郡内子町本町1921(禅昌寺前)

③生家跡の碑Ⅱ

③生家跡の碑Ⅱ

喜多郡内子町本町1921(禅昌寺前)

④お墓のある禅昌寺

④お墓のある禅昌寺

喜多郡内子町内子1852