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内子町

高岡善三郎(1848~1914)

 嘉永元年(1848)3月11日、高岡福治郎の長男として古田村(現内子町五十崎)に生まれる。幼少より自立心が強く、時勢を観るに敏く、若くして内ノ子村に移り、現在の坂町、伊予銀行付近に居を構えたのである。主な取引きは山産物であった。善三郎はその年の天候を観察推断し作物の作柄を予想し、大量購入をするなど、独特な商法をとった。購入した物産は大阪方面に移出し巨額の利益を得たという。このような発想は郷土での商いで終らず、大阪でも同様な商法で大阪商人の意表をついて内子商人の心意気を示した。宣伝に内子特産の番傘に「高善」と大きく書き入れ、来店の客に貸し出した。一年も経たぬうちに、街に「高善」の傘が人目をひいた。「伊予の高善」と称されて、一目置かれる存在となったという。
 酒造業を始めたのは不明であるが、当時、三机から杜氏を雇い酒造りを本格的に開始。業績があがり工場の拡張などにより喜多郡屈指の造り酒屋となった。明治35年(1902)推されて県議会議員となり県政に参画した。
 通称「高岡町」は、当時里道を廃し善三郎の義挙により開通した町道であり、現地に「高岡善三郎君義舉之碑」が町民の議を経て建立された。大正3年(1914)9月28日死去、享年67歳であった。(『新編 内子町誌』より)

①高岡善三郎君義挙之碑Ⅰ

①高岡善三郎君義挙之碑Ⅰ

喜多郡内子町内子2601(町営高岡団地前)

②高岡善三郎君義挙之碑Ⅱ

②高岡善三郎君義挙之碑Ⅱ

喜多郡内子町内子2601(町営高岡団地前)

③高岡善三郎君義挙之碑Ⅲ

③高岡善三郎君義挙之碑Ⅲ

喜多郡内子町内子2601(町営高岡団地前)