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内子町

重岡薫五郎(1864~1906)

 衆議院議員、法学博士。将来を嘱望されたが早逝した。文久4年2月1日、喜多郡内子村(現内子町)で重岡嘉平の長男に生まれた。松山中学校・帝国大学法科大学を経て明治20年司法省法学校を卒業した。同年判事試補として松山裁判所勤務を命じられたが、在官わずかでフランスに留学、エクス法科大学で法学博士の学位を受けて帰国。第三高等中学校(京都)で教鞭をとったが、郷里喜多郡で改進党有友正親の有力対抗馬を探していた自由党の懇請を受け、明治27年3月の第3回衆議院議員選挙第3区から立候補して有友を破り当選した。以後、37年3月の第9回衆院選挙まで6回連続当選、議会活動のかたわら外務省通商局長・文部省官房長などを兼務した。その学識から将来が期待されたが、42歳の若さで没した。政友会の領袖西園寺公望・原敬らは早逝を痛惜し、黒田清輝による重岡の肖像画を遺族に贈った。遺骸は内子町禅昌寺に納められ、碑銘は西園寺公望が揮毫した。政界情弊に染まらず、常に清廉潔白を堅持した政治家であったという。(『愛媛県史 人物』より)


①重岡薫五郎氏の墓解説板

①重岡薫五郎氏の墓解説板

喜多郡内子町内子1852

②正五位重岡薫五郎墓所

②正五位重岡薫五郎墓所

喜多郡内子町内子1852

③お墓のある禅昌寺

③お墓のある禅昌寺

喜多郡内子町内子1852