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大洲市

中江藤樹(1608~1648)

 儒学者。日本陽明学の始祖。近江国高島郡小川村(現、滋賀県)出身。通称は与右衛門(よえもん)。9歳の頃伊予国に来て、成長して大洲藩家臣となり、独学で朱子学を学んだ。27歳のとき、郷里に住む母への孝養と自身の持病とを理由に、藩士辞職を願い出るが許可されず、脱藩して近江に帰り、酒の小売業で生計を立てながら学問に専念した。
 藤樹は朱子学の教える礼法を厳格に守ろうとしたが、やがて形式的な礼法の実践に疑問を抱くようになり、道徳的な形式よりも精神の方が重要であるとして、「時・処・位」の具体的な条件に応じ、その状況に適切な正しい行動をとること、またその状況に応じた正しい行動の在り方を自主的に判断する能力を持つことにこそ学問の目標があるとする、自由な道徳思想を唱えた。これは、朱子学の道徳思想を日本社会に適応させようとした藤樹独自の思想である。後に『陽明全集』を手に入れてから「知行合一」を基とする陽明学を研究するようになり、我が国の陽明学の始祖となった。自宅に藤の木があったことから門人に「藤樹先生」と呼ばれた。
 大洲市の大洲高校内には、藤樹の旧邸を模した至徳堂が復元されている。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

①中江藤樹像

①中江藤樹像

大洲市大洲903(大洲城内)

②至徳堂Ⅰ

②至徳堂Ⅰ

大洲市大洲737(県立大洲高等学校内)

③至徳堂Ⅱ

③至徳堂Ⅱ

大洲市大洲737(県立大洲高等学校内)

④立志の地の石碑

④立志の地の石碑

松山市柳原(柳原集会所近く)