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八幡浜市

富澤赤黄男(1902~1962)

 俳人。西宇和郡川之石村(現、八幡浜市保内町)出身。本名は正三。宇和島中学校(現、県立宇和島東高等学校)を卒業後、早稲田大学在学中に俳句に関心をもった。卒業後、東京で会社員生活を送るが、昭和5(1930)年、川之石に帰り第二十九銀行に勤務、会社員として働きながら俳句を続けた。昭和10(1935)年、俳句の近代化と革新化を目的とする新興俳句運動の一つとして創刊された俳誌『旗艦』に参加し、評論活動も展開した。俳句という詩型に、現代詩と共通のレベルから新しい境地を拓こうと努め、句風も自由主義的な立場に立ち、季語を超え、口語表現によるモダニズムに傾く。第二次世界大戦後は『太陽系』、『薔薇』を創刊し、ひたすら新興俳句の道を進み、詩的可能性の限界を追求した。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

【句碑】
 炬燵から 山を眺めて ばかりかな
 蝶落ちて 大音響の 結氷期

①俳人 富澤赤黄男生誕地碑

①俳人 富澤赤黄男生誕地碑

八幡浜市保内町川之石

②第二十九國立銀行記念碑Ⅰ

②第二十九國立銀行記念碑Ⅰ

八幡浜市保内町川之石3-25(伊予銀行川之石支店駐車場内)

③第二十九國立銀行記念碑Ⅱ

③第二十九國立銀行記念碑Ⅱ

八幡浜市保内町川之石3-25(伊予銀行川之石支店駐車場内)

④愛媛蚕種Ⅰ

④愛媛蚕種Ⅰ

八幡浜市保内町川之石3-7

⑤愛媛蚕種Ⅱ

⑤愛媛蚕種Ⅱ

八幡浜市保内町川之石3-7

⑥句碑広場Ⅰ

⑥句碑広場Ⅰ

八幡浜市保内町川之石 冨澤赤黄男句碑広場

⑦句碑広場Ⅱ

⑦句碑広場Ⅱ

八幡浜市保内町川之石 冨澤赤黄男句碑広場

⑧句碑広場Ⅲ

⑧句碑広場Ⅲ

八幡浜市保内町川之石 冨澤赤黄男句碑広場