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八幡浜市

浦中友治郎(1872~1957)

 実業家、八幡浜町長・県会議員。明治5年7月6日、宇和郡八幡浜浦新地(現八幡浜市堀川町)で菊池守太郎の次男に生まれ、23年製蝋業浦中要次郎の養子になった。26年日本法律学校(現日本大学)を卒業して帰郷、八幡浜商業銀行に入り、のち同銀行専務取締役に就任した。 39年銀行を退き、鉱山業に着手する一方、宇和水電・共盛社(海運)・伊予自動車会社などの重役として実業界で活躍した。36年9月~40年9月県会議員であったが、大正4年10月実兄菊池虎太郎急死の後を受けて再度県会に返り咲き、憲政会に所属して12年9月まで在職した。大正15年八幡浜町長に就任、以来9年間、諸庁舎・病院・公会堂の改築新築、八幡浜港の築港、上水道施設の完成、国有鉄道の誘致実現などの事績をあげ、周辺4か町村を合併して市制施行に尽力した。昭和32年11月17日85歳で没し、翌年愛宕山に頌徳碑が建立された。(『愛媛県史 人物』より)


①浦中友治郎翁頌功碑

①浦中友治郎翁頌功碑

八幡浜市愛宕(愛宕中学校付近)