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八幡浜市

鈴木峰治(1871~1936)

 八幡浜かまぼこ製造の元祖。明治4年3月20日、父武三郎、母トモの長男として宇和郡袋町2丁目(現宇和島市)に生まれる。明治8年幼少のころ、父とともに八幡浜に移住した。家が貧しく、10歳のとき、米穀、こんにゃく屋、魚くずし製造店等に奉公するなど非常に苦労したが、11歳のとき明治14年(1881)郷村石堂小学校(後の千丈村にあった)を卒業した。明治23年20歳で大黒町に店を構え、屋号を鈴間屋としてかまぼこの製造に着手した。かまぼこの製造は伊達秀宗が慶長19年(1614)宇和島に入封した際、仙台より伝えられ宇和島でつくり始められたといわれる。峰治はかまぼこの製法を父武三郎に教わり、生来の研究熱心から良質かまぼこの生産に励むかたわら他に伝授したので同業者は次第に増加して大正4年には八幡浜かまぼこ同業組合が結成され、峰治が初代組合長に就任した。また仕事の能率化をはかるべくかまぼこ製造機を考案し、その後もその機械の改良に努め、今日の八幡浜かまぼこ製造業発展の基礎を築いた。明治31年には海外への輸出を目的とした「かまぼこ缶詰」を考案し、製造を開始した。さらに明治36年、調味用品として「削りかまぼこ」を昭和2年には「干魚味醂ぼし」の製造にも着手するなどして好評のうちに広く国内外各方面への販路を拡大していった。この間常に製品の品質向上に意を注いだため屋号「鈴間屋兄弟商会」の名とともに「八幡浜かまぼこ」の名声を全国に高めた。このことは八幡浜が天然の好漁場に恵まれ、底びき網漁業によるエソ、グチなどのかまぼこ原料が豊富に入手できたことも幸した。峰治は大正6年八幡浜最初の魚市場設立にも尽力したほか、魚仲買組合長として活躍する一方、八幡神社の県社昇格に努力するなど敬神の念も深かった。昭和11年8月22日、65歳で没したが、市内はもとより東京、大阪、神戸など県内外の関係者によってその功績に報いるため、昭和14年3月安宕山に「鈴木峯治君頌功碑」を建立している。(『愛媛県史 人物』より)

①鈴木峯治君頌功碑

①鈴木峯治君頌功碑

八幡浜市(愛宕保育所前)