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八幡浜市

那須善治(1865~1938)

 社会事業家。慶応元年6月21日宇和郡川之石浦内之浦(現八幡浜市保内町)の那須多重郎の長男として生まれる。少年時代は、川之石で酒造の手伝いをしていたが、28歳で上阪し、第一次世界大戦中相場であて巨額の富を築いた。しかし富豪や成金階級が一般住民を苦しめている実情をみ、自分が成功したのは、社会の人たちのおかげだと、余生を社会事業に奉仕しようと決意する。神戸のスラムに賀川豊彦をたずねて、賀川から消費組合運動の助力を求められ、大正10年に灘購買組合を創立した。若いころロバート・オーエンに傾倒し、「一人は万人のために、万人は一人のために」を座右の銘とした。熱心なクリスチャンで、勤勉、努力、奉仕に生涯を貫いた。出身地川之石にも学校施設、育英資金等に多額の寄附をする。昭和13年12月19日、73歳で死去。(『愛媛県史 人物』より)

【追記:龍潭寺について】
市指定有形文化財 建造物
 龍潭寺本堂・庫裡
       昭和61年10月1日指定

 龍潭寺は、寛文2(1662)年の開基で、もとは川之石雨井にあり海蔵寺と称していたが、大雨による山崩れで埋没。のち現在地に堂宇を建て、龍潭寺と改められた。多くの名僧を輩出しているが、中でも田翁、行應、寰海は龍潭寺の三名僧と呼ばれている。また、西南戦争では越前福井の兵士70余人が駐屯したと伝えられる。
 現在の本堂は安政2(1855)年に再建された。後年、瓦葺を銅板葺に、平天井を折上格天井に替えている。内部は区画整然とした大広間で、書院風の床の間を備えている。内部は区画整然とした大広間で、書院風の床の間を備えている。
 庫裡は明治22(1889)年の建築といわれる。正面右方にある月見櫓の天井には、妙心寺法堂に倣い、雲龍図が描かれている。近年増改築されているが、二階に廻らせた縁と匂欄、火灯窓や丸窓など特徴的な構造や意匠を今に伝えている。
                      八幡浜市教育委員会

①那須善治翁頌徳記念碑Ⅰ

①那須善治翁頌徳記念碑Ⅰ

八幡浜市保内町川之石

②那須善治翁頌徳記念碑Ⅱ

②那須善治翁頌徳記念碑Ⅱ

八幡浜市保内町川之石

③龍潭寺

③龍潭寺

八幡浜市保内町川之石