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西予市

久世竜(1908~1985)

 殺陣師(たてし)。東宇和郡中筋村(現、西予市野村町)出身。本名は河野幸政。叔父の誘いで故郷を離れ神戸の生田中学校に通う。久世を商人にしようという叔父の思惑をよそに活動写真に魅せられ、18歳のときに俳優になりたい一心で、日本映画の父と呼ばれた牧野省三を京都に訪ね、師事した。
 昭和2(1927)年、牧野省三の長男・正博の紹介で京都日活に俳優「岬弦太郎(みさきげんたろう)」の芸名で入社、以後端役で様々な映画に出演したが、昭和14(1939)年、マキノ正博監督の「浮名小路(うきなこみち)」で殺陣師をつとめてから、俳優と殺陣師の両方で活躍する。名優・月形竜之介に殺陣を付けたのが縁で「竜」の一字をもらい、久世竜と改名した。
 昭和29(1954)年、東宝に入社、黒澤明監督と出会い、殺陣師としての才能が開花した。資料、文献を丹念に研究した上での計算された久世の殺陣は、リアリズムを重視したもので、刀、槍、素手での鮮やかな立廻りは人々を驚かせ、黒澤明、三船敏郎コンビの映画にはなくてはならない存在となった。昭和37(1962)年、第7回ホワイト・ブロンズ賞。昭和42(1967)年、第11回映画の日永年勤続功労賞。黒澤明監督の「乱」撮影中に入院、昭和60(1985)年逝去、享年76歳。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)