データベース『えひめの記憶』
西予市
徳田 怜
明治23年9月4日生まれ。明治39年県立宇和島中学校(現愛媛県立宇和島東高等学校)に入学。同42年12月、病気のため中退。同43年教育界に入り、高山小学校ついで嘉喜尾小学校に教鞭をとる。大正3年、土居村役場に転じ越えて大正5年志をたてて朝鮮に渡り、職を李王家に奉じて才腕を振う。戦雲あわただしい昭和16年、宇和島市役所に入って税務課長などの要職に就き、同19年郷里土居に帰り村助役その他の要職を歴任する。黒瀬川村の誕生に当っては初代教育長となり、極めて困難な時代の教育行政を背負って円満な基盤づくりに精進し、後村助役に推され村政推進に当った。
情操豊かで人格高潔好々爺として人々に親しまれ、又、地方稀にみる文筆家、郷土史研究家として名声高く、三十四と号し、歌謡集に“落下傘"、郷土史に“三滝城史”など多数の著書がある。(『城川町誌』から)
【徳田父子彰功碑】
郷土の人文地理を明らかにし、永く後世に愛郷精神を伝えるため郷土誌の刊行は、かねてより住民の待望するところでありましたが、故徳田怜氏の多年にわたる労作と、是を受け継ぎ集大成された実氏の努力により今回その実現を見るに至りました。
徳田父子二代にわたる功績はまことに大であります。依て茲に碑を建て功を彰します。
昭和51年8月
土居郷土誌