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鬼北町

今西幹一郎(1846~1927)

 弘化3年~昭和2年(1846~1927)好藤村長・県会議員・衆議院議員・実業家で、宇和島鉄道・宇和水力電気を創設した。弘化3年8月6日、宇和郡国遠村(現北宇和郡広見町①)の庄屋今西権四郎の長男に生まれた。実業家今西林三郎は弟である。幼くして父を失い、万延元年14歳で家督相続して庄屋役を継ぎ、明治元年私費で国遠に溜池を掘り、溝を通し灌漑の便をはかった。17年5月県会議員になり21年3月退職した後、宇和島の山崎惣六ら大同派に説得されて、22年1月再び県会議員になり25年3月まで在職した。29年3月には末広重恭死去に伴う衆議院議員補欠選挙で、自由党から担がれて当選したが、政治活動を好まず、31年3月の衆院選挙には自らは出馬せず、代りに弟林三郎を推した。39年村民に望まれて好藤村村長に就任、43年まで在職して里道改修や小学校建築に従事し、「貧民救助基金蓄積条例」を定めて孤独の貧者の救助、貧民子弟の義務教育費の補助を行うなどした。
 26年ころから鬼北地方開発のため鉄道敷設を計画して郡会を動かしたが日清・日露戦争などで起工するに至らなかった。43年宇和島鉄道の再興を企て、創立委員長として多くの障壁を乗り越え、大正3年10月宇和島-近永間17.4kmの鉄道を開通させた。
 また、明治40年以来水力電気会社創立を主唱して渡辺修らと図り、43年1月に宇和水力電気会社設立と共に取締役に就任した。昭和2年11月4日81歳で没した。死の直前、郷里の人々は功績をたたえて広見町深田の大本神社に胸像を立てた。太平洋戦争中金属回収で供出されたが,、57年4月広見町総合開発センター前庭に再建された②。(『愛媛県史 人物』より)

【備考】
文中の①:2005年1月1日に日吉村と合併し、現在は北宇和郡鬼北町。
文中の②:広見町総合開発センターは、現在「好藤公民館」として地域の人々の活動の場となっている。


①今西幹一郎翁像

①今西幹一郎翁像

北宇和郡鬼北町大字内深田1174(好藤公民館敷地内)

②台座の解説文

②台座の解説文

北宇和郡鬼北町大字内深田1174(好藤公民館敷地内)