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鬼北町

酒井要

 俊英酒井要氏は明治37年7月2日三島村酒井庄次翁長男として生る。資性清純温厚にして、篤実夙に志を立てて県立松山農業学校に学び業を了へて郷里に産業技手として尽瘁す。
 当時村の産業組合は不肖破綻の極に頻す。村民懇望推されて組合長に挙げられる。氏亦敢然として再建に起つ時惟昭和5年8月12日氏弱冠26歳なり。氏は亦組合製糸を創立して長たると共に其の連合会長を兼ね、十有六年苦節精励遂に復興の大業を完成し範を斯界に垂る爾来8月12日は其の功績を感銘して組合復興記念日と定む亦故なきに非るなり。
 戦後再び三島農協組合長に挙げられ十年亦一日の如し、此の間更に県農業委員、経済連理事、指導連並びに共済連専務、広見町議会議長等をも歴任す。氏は実に智略縦横往く処為さざる無く止る所遺さざる無し郷土頓に氏が為に風を改め俗を遷す。今亦選ばれて広見町長たり。
 徳望比無し、玆に郷党相謀りて寿像を建立し永に仰ぎ観て其の徳風に薫じ以て氏の遺業を継がむ事を誓ふものなり。嗚呼壮なるかな。

 昭和35年8月12日
  題額 内閣総理大臣 岸 信介
     撰文 愛媛県農業協同組合 中央会会長 藤谷 隆太郎

            (『広見町誌』より、酒井要胸像 撰文)



①酒井要胸像

①酒井要胸像

北宇和郡鬼北町小松1400-1(えひめ南農業協同組合三島市所前)

②製糸工場モニュメントⅠ

②製糸工場モニュメントⅠ

北宇和郡鬼北町延川(鬼北町立三島小学校付近)

③製糸工場モニュメントⅡ

③製糸工場モニュメントⅡ

北宇和郡鬼北町延川(鬼北町立三島小学校付近)

④製糸工場モニュメントⅢ

④製糸工場モニュメントⅢ

北宇和郡鬼北町延川(鬼北町立三島小学校付近)

⑤製糸工場モニュメントⅣ

⑤製糸工場モニュメントⅣ

北宇和郡鬼北町延川(鬼北町立三島小学校付近)

⑥製糸工場モニュメントⅤ

⑥製糸工場モニュメントⅤ

北宇和郡鬼北町延川(鬼北町立三島小学校付近)