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鬼北町

渡辺修(1859~1932)

 衆議院議員、実業家。宇和水力電気会社を創業した。安政6年12月、宇和郡泉村岩谷(現北宇和郡鬼北町)の庄屋の家に生まれたが、明治3年11歳のとき家財を失った。勉学の志消えず、宇和島の南予中学校(現宇和島東高校)にまで歩いて通学、毎日米麦を担いで運びその利ざやを学資にしたという。豊前中津の慶応義塾分校から慶応義塾に進んだ。明治15年以来農商務省・外務省・逓信省の官吏や愛媛県内務部長・佐世保市長を歴任、役人生活を20年経験した。明治35年8月政友会に所属して衆議院議員選挙に立候補当選したのを最初に、大正13年1月まで連続7期当選して,22年間代議士の地位を維持した。 43年宇和水力電気会社を創立して社長になり、南予に電気をともした。その後、大阪電灯会社社長、大阪三品取引所理事長、日本電気協会会長などを歴任した。昭和7年10月15日大阪で没した。72歳。ほとんど東京・大阪で暮らしていたが、郷里のことも忘れず、昭和5年の農村恐慌時には泉村に5千円を寄付して貧民救済の助けとした。死後の昭和9年2月1日泉村役場横に胸像が建てられた。太平洋戦争時の金属回収で供出されたが、現在広見町就業改善センター前庭に再建されている。(『愛媛県史 人物』より)

【追記】
 胸像は、現在泉公民館に建てられている。

①渡辺修君像Ⅰ

①渡辺修君像Ⅰ

北宇和郡鬼北町岩谷275(泉公民館)

②渡辺修君像Ⅱ

②渡辺修君像Ⅱ

北宇和郡鬼北町岩谷275(泉公民館)

③渡辺修君像Ⅲ

③渡辺修君像Ⅲ

北宇和郡鬼北町岩谷275(泉公民館)