「坊っちゃん」と松山 2 |
道後温泉 |
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愚陀仏庵 「坊っちやん」の主人公の下宿は、最初は、「いか銀」という骨董屋で、次は 「萩野のと云って老人夫婦ぎりで暮らして居る」家である。漱石は現在の県美 術館分館の近くにあった骨董商の家に下宿し、次に二番町の上野家の離れ座敷を借りて住んだ。これはほぼ小説と同じである。上野家の離れ座敷を漱石は、「愚陀仏庵」と名付けた。明治28年8月正岡子規は、日清戦争の従軍記者として大陸へ渡ったが、病を得て帰国、折から戦争も終結。療養かたがた帰省して、この愚陀仏庵の階下に転がり込んだ。漱石は2階を居間とし、50日 ばかり共に住んだ。子規の帰郷を知った門人たちがどっと集まり、俳句指導が行われ、2階の漱石も積極的に子規に師事し、創作の妙味を会得した。短期間であれ、こうした同居が漱石に10年後の「坊っちやん」執筆のきっかけを与え、また、「文豪夏目漱石」の出発点となったことは、漱石を語るとき見逃せない事実である。(本文は(東京法令出版)月刊国語教育1990年6月号『名作探訪「坊っちやん」と松山』(頼本富夫著)に一部加筆して転載した。) |
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