データベース『えひめの記憶』
わがふるさとと愛媛学Ⅱ ~平成6年度 愛媛学セミナー集録~
◇なぜ、ふるさと通信「愛里」を発行するようになったか
私は、物を書く仕事がしたかった。東京の知人からの誘いもあったが、あまり都会が好きではなく、でも田舎にそういう仕事がないので、じゃあ自分で発行しようかなということで始めた。また、自分が一番何を表現したいのかと人に言われた時に、やはりふるさとの良さを表現したいと思う気持ちもあった。
うちの雑誌は、「自然、ふるさと、お年寄り」を3本柱にしている。先程、西口さんも言われたように、今がお年寄りの知恵を聞き取れるタイムリミットだなと、私も感じている。
「愛里」の内容を記事を通して具体的に説明すると、「こんな話もあるんですらい」というのは、昔話を地元のお年寄りの方に聞いて、編集している。基本的には、町史とか、いろんなのに載っていない昔話を取り上げようということにしている。「伝えよう従軍の思い出」では、地元のお年寄りの人に集まっていただいて、戦争体験を話していただいたものである。「かくしゃくジェネレーション」は、地元で頑張っておられるお年寄りの紹介で、例えば山の仕事をしている作業員の方たちを取り上げている。「郷土の文化財」では、隣の松野町や広見町で、ずっと遺跡調査をしておられる森光晴先生に、遺跡についてずっと書いていただいている。
「ふるさとの不思議紀行」という記事では、地元のよくわかっていないこと、歴史的にはっきりしていないが、こういう話があるよということを取り上げている。例えば広見町にある大明神という神社がある。大明神というのは、伊勢神宮の関係らしい。明神というのは多いが、大明神というのは非常に少なくて、それがどうしてなのかというのも調べたけれども、ほとんどわからない。でもこういうのがあるということで、いろいろなものを紹介している。「1枚の写真」では、私の住んでいる所は、広見町の旧三島村であるが、その昭和28年ころの写真をとどめておきたいというので、地元の方に出していただいたものである。
「ふるさとの歴史」では、アマチュアの郷土史家である三間町の松浦郁郎さんがずっと研究されているものを、連載させていただいている。「奈良川を語る-誌上座談会」という記事では、広見町の太鼓橋というのが撤去されて、新しい橋につけかわる直前に、昔の思い出を語っていただいた。この記事のもう一つの理由は、川の自然環境保全もしたいけれども、まず、意識を川へ持って行くためには、思い出から入るのが一番いいだろうということで、自分たちの川について、今後考えていこうという導入部にしている。ほかにも、いろいろあるけれども、そういう形で地元の人たちに、とにかく自信を持ってもらいたい。それと地元で、いろいろ頑張って研究されている方たちのことを、もっと一般的に、身近に感じてもらい、埋もれさせないようにアピールできる場所にしたいということもある。