データベース『えひめの記憶』
わがふるさとと愛媛学Ⅱ ~平成6年度 愛媛学セミナー集録~
◇若者にとって地域学を学ぶことの意義
私の芝居の先生も、私も、何度か海外に出たことがある。先生から日本人って何なんだと聞かれる。日本人は農耕民族で、西洋人は狩猟民族。その中から生まれて来る文化は、全然違う。それで、日本の文化は下半身の文化で、大工さんがカンナを削る時に、日本人はうちに引くが、ヨーロッパの人は向こう側に押す。そういうのも、一つ一つ全部違っていて、そこから発生した文化の違いがある。
そういう基本的なことを知らないと、自分というものに自信がなくなり、他の文化や民族に対して、排他的で攻撃的となり、他を理解する余裕がなくなると思う。したがって私たちが今から国際化していく中でこそ、自分たちの文化をきちんと知っておかないと、他の文化を受け入れる余裕もないのではないか。私も、こういう雑誌の関係上、教育問題とかについて、いろんな方とお付き合いをするが、今の子供たちは、精神状態がすごく変な状態になっていると聞く。おへそがないなと思う。私たちは戦後、自分たちの価値観がなくなって、すごく自信がなくなってしまった。今は孫の世代になるかもしれないが、その自信がなくなった親に育てられ、ちょっと変だなという子が増えてきたのではないか。やはり自分たちの根っこの部分をとらえるためには、自分たちの地域学というか、自分たちが一体何者なのかというところを、きちんと踏まえないと、いけないんじゃないかということを感じている。
私は芝居もしているけれども、今、若い人たちなんかは特に、東京の物をやれば、自分たちはいい芝居を作っているみたいな感覚がある。でもミュージカルにしても、どんなに頑張っても、最高の評価が、ブロードウェイと同じレベルのミュージカルができていますというのでは、どうしても太刀打ちできない部分がある。芝居にしても、何にしても、見える部分は氷山の一角で、本当の価値はその奥にある。だから私たちが芝居に関して勝負できるとすれば、自分たちが持っている文化の中から生まれてきたものでないと、なかなか太刀打ちできない。手持ちの札でしかやれないという部分がある。今度私も、伊予神楽を元にしたお芝居を作り、県民文化祭で上演することになっている。
手持ちの札を調べるということも、やはり地域学、地域のことを学ぶことなんだと思う。それがわかっていなかったら、どうしようもない。なんで勝負をしていいのかわからない。話がそれるが、勝負するということは、決して他を追い落とすということでは、基本的にない。私なんかもお芝居で舞台に立つと、相手役と真剣勝負であるけれども、それは相手役を打ち倒すとかいうのではなく、共に輝く方法を探すことである。自分のきちんとしたおへそを持っていれば、自分たちはそうだけど、他にはまた他の価値観があるということを認める余裕もできるのではないか。
それで、私たちは西洋かぶれというか、そういうのはやめたほうがいいのではないか。西洋に対する劣等感がアジア諸国に対する優越感になり、優越感というのは裏返せば劣等感だと思うけれども、この西洋に対するすごい劣等感というものが、おそらく戦争も起こしたのではないか。本当に自分たちの文化というものに自信を持っていれば、世界中の人とうまく付き合えるのではないか。私もタイに行った時に、モン族という少数民族のキャンプに行かせていただいた。西洋的価値観から言ったらかなり低い文化と言えるかもしれないが、彼らは本当に素晴らしい文化を持っていて、それを、国を追われたことで失わなければいけないということは、本当に辛いことだろうな、なぜそういうそれぞれの文化が共存していかれる世の中にならないのだろうとその時に感じた。
同じ愛媛県でも、私の住んでいる鬼北(きほく)地区と東予地方では、気質や生活習慣など、全然違う部分も多いが、それはそれで本当に素晴らしい。文化に違いはあっても高低はないと思う。だから東京の方にばかり目を向けるのではなくて、自分たちのことを、それぞれの地域で高めていくことが大事ではないか。私たちの会社でも、ドイツのクラシックを広見町でやった。なぜ彼らのクラシックが本物で素晴らしいかというと、それは小さいときからクラシックというものが日常で、生活の中で感じていたから、より高いレベルのものが作れるわけで、取って付けたものではないからである。私たちも手持ちの札の、あるものをより高めて行って、より高い文化を作る必要があると思う。メッキではなくて本物を作っていきたい。
うちのタウン誌なんかは本当に技術的には拙(つたな)い。でも、その中でもっともっと自分自身も勉強したいし、地元の人たちと共にいろいろやっていけたらなと思う。地元を中心に活動して、情報の全国発信を目指している。タウン誌としての「愛里」の取材や販売の範囲は、旧宇和島藩ぐらいの規模でやっている。私はできれば、うちのような雑誌が県内で旧藩単位ぐらいでできて、みんなでいろいろ考えてもらえたらと思う。ただ、本当は広見町内だけでも書くことは十分あるし、旧三島村(広見町の一部)でもネタは沢山ある。ネタはあるけれども、読者の絡みもあって広範囲を取材しないと、やっていけないという経済的な問題で、「愛里」はそれよりは広い範囲でやらせていただいている。
自分にとって「愛里」と芝居は両輪である。いわば「愛里」でいろいろなことを学んでいって、それを芝居の形で出す。若い人は「愛里」にはまだ見向きもしてくれない。その中で本当は若い人にこそ、地域の文化を学んでほしい。けれども、それをしてくれないので、それを題材にした芝居、芝居だと若い人がわりと見向きをしやすいので、そういうふうなものを作っていけたらなと思っている。