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わがふるさとと愛媛学Ⅱ ~平成6年度 愛媛学セミナー集録~

□愛媛学成立に向けて

穐岡
 小木先生の貴重な御講演を踏まえまして、先程の研究発表をしていただきました、4人の先生方に、残された時間内で、もう少し話し足りなかった事も含めまして、パネルディスカッションをしていきたいと思います。今日の一つの目標でございます、愛媛学の成立に向けてということで、見過ごされよう、あるいは失われようとしております、地域の歴史的遺産、あるいは伝統的文化の重要性というものを、どのように地域の方々に再認識してもらい、また生かしていくかというようなところを、一つの論点として御発表いただけたらなと思います。それでは、早速なんですが、先程の発表順ということで。西口先生、よろしくお願いします。

西口
 愛媛学、いわゆる地域学というものは、とにかく誰もがすぐに参加できるんだよ、間口は広いんだよというイメージが、必要なんだということはわかりましたし、私自身もそういうふうに考えているのです。ただ、学がつく以上は学問でございますから。一つのビジョンといいますか、目的意識というものが必要なのではなかろうかと考えるわけです。といいますのは、例えば生涯学習というのが盛んに言われておりますし、このセンターなどでは確かに生涯学習が充実した形で行われておりますけれども、私たちのような地域では、それが全然違うんですね。受け取り方も違います。それで「生涯学習というのは一体何ですか」と聞くと、焼肉パーティーもそうだし、川祭りもそうだし、ソフトボールもクロッケーも生涯学習だと。これは間口を広めて皆さんに参加していただくという意味で、そういう言い方をするわけなんです。それらも一つの学習機会なんだと、そういう形で生涯学習というものを取り上げております。それが間違いであるとは言わないんですけれども。やはり学問という限りは、そこらあたりは十分考えていかなければいけない。
 したがいまして、間口を広げるという点に重点を置きすぎますと、愛媛学というものが非常に散漫なものになってしまう。実際に何をやっているかわからないようなことになってしまうのではないか。だからこの明確な目的意識と間口の広さという、相反する要素・条件というものを、どんなに上手く調和させて、運営や指導をいただくか、そういう事が大事ではないか。
 極端な例ですけれども、例えば一地域の郷土史というものを研究して行く場合に、やはり専門家の学者がやる方がはるかに立派なものができるわけです。ですから少なくとも、愛媛の独自性とか、あるいは愛媛の将来像であるとかを求め、それをあらゆる生活文化全般から研究して行って、総体としてまとめたものが愛媛学といったくらいのビジョンが必要ではないか。「初めにこれありき」でやったら、まあ10日も続かないということを、小木先生もおっしゃられたので、確かにそのとおりかもわかりませんけれども。少なくともそれをやっていく立場の者は、そういうぐらいの事は問題意識として、自分の内に持ってやっていく必要があるのではないかというような感じがいたしました。そのためには我々が地域でそれぞれが単独、独断で研究して行って、コツコツやるだけでは、意味がないように思います。県なら県が一定の方向も示してもらおうし、そういうものを集約して、みんなに周知するような形で。月刊雑誌のような物であるとか、あるいは懸賞論文などのシステムというものを、きちんと作って進めていっていただいたら、非常に素晴らしいものになっていくのではないかなと。以上です。

穐岡
 はい。ありがとうございました。大変難しい論点といいますか、そのバランスの問題が言われたのではないかと思います。それでは続きまして岡崎さん、お願いします。

岡崎
 最初、愛媛学ということでお話があった時に、実はちょっとビビりました。やはり、学問というのは嫌いなんですね。勉強というと何かこう頭が痛くなるんです。先程スライドを見ていただいたように、好奇心の赴くままというか、自分で考えがあってするというよりもむしろ「あ、面白い、面白い。次は何があるかな」と、楽しみの発見から入って行く中で、鉱脈を堀り当てるというか、自分なりにですが、気付くものがありました。
 感じるのは、情報化社会ということで、松山、あるいは私が住んでいる八幡浜・保内町はもっとローカルなわけです。けれどもそことて、情報としては東京で得られる情報と、そんなに差はない。一応メディアがある分、情報的には得られる環境にあるわけですね。そうするとどういうことが起きるかというと、一律化ですね。例えば、小木先生はさきほど伊予の建て倒れという、すごいことを言われましたが、我々は当たり前で、それに気が付かないところがあります。そういうものが油断していくと変わっていくわけで、保内町あたりでもどんどん建て替わっています。動き始めるきっかけになったのも、そういった例えば内子座に匹敵するような大黒座とか、洋館がいくつもありましたが、そういったものが4年5年の間でばたばたとなくなっていったのがきっかけです。地域が一元化されていく。保内が「保内の町だなあ」というのでなくて、そこの写真を撮った時に「これはどこの町かな」と。東京近郊の町かなと言ってもおかしくはないような家が建つ。
 物が風化して行くから心も風化していくそうした変わり方の中で、非常に地域の個性が失われ、ローカリティーがなくなって、一元化されていくということに、耐えられないような気になっていくわけなんですね。それをわかってもらおうという時に、私の場合はビジュアルというか、絵というか写真で、スライドなんかでやっていっているのです。今ごろの若い人たちにそれを受け継ごうとした場合に、特に活字離れですから、活字ではちょっと伝えにくい部分がありますので。子供たちの前でああいうスライドをやらせていただく事も、ままあるのですが、彼らはそういう意味では柔軟性があって、すごい吸収力があります。大人以上に生き生きと反応があるわけです。そうしたことで、せめて伝えたい。
 私は地域の歴史というのは、隔世遺伝だと思うんです。おじいちゃん、おばあちゃんの背中に背負われていた時に、路地を歩いていた時に地蔵さんの話を聞いたりとか、無意識のうちの中でですね。そうしたのが、核家族とかいろんな事で、今は断絶している。親は忙しいから、そういう事は教えないですよね。あるいは学校の先生たちも転勤族ですから、地域のことに詳しい人ばかりではなくて、むしろよそから来て教える。地域のことは知らない。子供たちに伝えていくその受け皿がない。ではどうするかということになると、それぞれ個々人が自分で発見していくしかない。そうして魅力を発見して、楽しさの中から地域の歴史なり、いろんな事に自分で気が付いていくしかないのではないか。そういう時代にもう入っているのではないか。そんな見ていくことの楽しさが分かち合えたらなという気がしています。

穐岡
 はい。ありがとうございました。先程、二宮さんには、南予、特に鬼北という一地方で、大変地道な活動をされて、また中央との兼ね合い等も含めた発表があったかと思います。それに加えて、生活文化の重要性等も踏まえて、御提言いただけたらと思います。

二宮
 私は、わりと年寄り子だったんです。小さい時、お年寄りに囲まれて育ったので。
 私は、お年寄りとお話をするのは好きです。本当にいろんな事を知っていて、色々教えてもらうのが楽しくて。ただ、今の子供たちは時間がないのと、ファミコン等の機械には確かについてこれないから、何か年寄りを馬鹿にしてしまっている。まず年長者を尊敬できる心を作ることや、隔週週休2日になった時間的な余裕を、そんなお年寄りとの交流を通じて地域に生かすことが大切じゃないでしょうか。
 うちはまだ田舎ですから、老人クラブと子供たちの交流というのがまだあるみたいで。前に私たちがイベントをした時も、昔の農作業を通してのお年寄りと子供の交流もしたのですけれども。「愛里」の一つの目標として、世代間の交流というのが持てたらなというのがあります。ただ私たちの場合一応会社なんで、ボランティアだけでは経営していけないという部分がありまして、ちょっときついところがあります。その中で上手にやっていく事というのが、うちの場合は大変で。
 私は今、お芝居の方もやっています。伝統行事はすごく大事なんですが、それが今に生きなければ意味がない、皆が親しめるようにと思って、伊予神楽を今度お芝居にするんです。初め、伊予神楽って知らなかったんです。よく聞いてみると「何だ、お祭りの時に踊っていた。あれが伊予神楽か。」と。身近にあるのにわからなかったんですけれども。それを本当は単に学ぶだけのつもりだったのが、急きょ、県民文化祭で出ないかということになったので、急いで台本を書きまして、やることになったのです。その中で、いろんな人に衣装を借りたいとか言っていましたら、浦安の舞という女性の衣装ですが「それなら地元の神社にあるわ。」と。神主さんに聞いたら「公民館にあるけど、戦前使っていて、それっきりわからないよ。」と言われ、公民館の人に聞いたら「そういえば倉庫にあったね。」というので、出してもらいました。今60歳以上の方が子供のころにやったのが最後らしくて「あんたが言わなかったらそのまま朽ちていたね。」という状態だったんです。
 地域で公民館の倉庫なんかに押し込まれ、備品台帳にさえないそういうものを発掘して行って、大切にしていくこと。そういうものを保存していく活動。子供達に、特に学校教育の中で、もっとそれをやっていく必要が、とってもあるのではないか。そうやって地域に小さい時から触れ、親しんでいくと、地域に愛着を持つと、過疎化の問題とか、いろいろな問題。心の問題にしても、解決の見通しというか、方向性が見えてくる。
 だからうちの愛里なんか、昔の事を載せていたら、最初は「たそがれている。」みたいな事を言われたんですけれど。私としては、未来のために「昔の事とか今の事を絶対知っておかないとこれからのことはできない。」と思うし、もっともっと世代間の交流を持って、互いに教え合っていく事が、一番大事なことじゃないかなと思います。この間もお芝居をするのに、山の下刈りを友達の所でやらせてもらって。そういうのをきちんとやっていないと、日本の芝居を体でやれない。そういうことも大事にしていきたいと思います。

穐岡
 ありがとうございました。最後になりましたが信藤先生、お願いします。

信藤
 私はですね、愛媛学というのを盛んに言われておりますけれども、要するに、地元にいる者が地元の事を知るということだと思います。私が尊敬する民俗学者の方で、こんな事を言った人がいます。「郷土研究というのは、単に郷土を研究する事ではなく、郷土で研究をする事だ。」と、こんな事を言われました。私もですね、ずばりそのとおりだというふうに思いました。というのは、郷土にあって、しっかりと根を下ろしてこそ、自分が今住んでいる所がどんな所だということがわかるということですね。
 ですから、私が先程紹介しました宇摩郡の新宮村にしても、あそこに住めばまた違った視点で活動できたのではないかと思うんですね。と言いますのは、それぞれの所に住んでみて、初めてわかるということが非常に多いわけです。ですからたとえ隣の町からであろうと、行っていろんな事を言いましても、ずばりその地域の事がわかるかというと、そんなものじゃないですね。やっぱりそこに住みついて、初めて本当の事がわかる。それが郷土研究であり、また何々学といったものではなかろうかというふうに思います。
 その中でいろいろやっておりましたら、手柄争い・功名争いというものができてくるんですね。ところが、私たちがいろんな話し合いをする時に、やっぱり心しておかなければいけないのは、地元のお年寄り、あるいはいろんな事を継承している方。そんな方をできるだけ発掘して、できるだけその地域の他の人にも、地域の世の中の人にも、知らせてあげる、紹介してあげる。そんな事も必要なのではないかなと思います。ですから、場合によると表面に立たざるをえない事があるのですが、できれば、黒子に徹する。そういった事が非常に大事なのではないか。
 それから、もう一つは、いろんな会がありますとそれぞれリーダーというものがあります。今までいろいろ調べておりましたら、自然消滅とかですね、いつの間にか消えたというグループ。そんなのはほとんど、よそから行った人が、強力なりーダーシップで引っ張った場合なんですね。その人が我々のように転勤族でしたら、ちょっと来年はどこへ飛ばされるかというふうになりますと、とたんに消えるんですね。要するに、強力なリーダーシップをとるあまりに、次のリーダーというものが育っていない。それも地元にそんなリーダーが育っていない所ほど、消滅する会が多い。簡単に言いましたらそんな事ではなかろうかというふうに思います。
 例えばお祭りで言いましたら、私たちがやる場合は、夏の盆踊りですね。例えば太鼓をたたく人もおりますし、お囃子(はやし)する人、踊る人、いろんな人がいます。できるだけ、私たちがよそへ行って、いろんな事を引っ張って行くか、あるいは助言するというような場合には、太鼓をたたくだけにとどめたいというふうに思います。それについて来る人が、たとえばお囃子をする人とか、踊る人とかというふうにあるんですね。だからあくまでも、主役は地元の方だと。そんな事が一番必要なのではないかというふうに、私は考えております。以上です。

穐岡
 ありがとうございました。
 今まで御研究等を聞いておりまして、我々が実は10年前に編集した「愛媛の地理探訪」という本があるのですが、これは愛媛学・地域学の一つのガイドブック的なものに相当するのではないかと、今日考えました。国土地理院が出しております、25,000あるいは50,000分の1の地形図を片方に載せまして、その範囲内をずっとたどって歩けるような、解説をつけておるわけです。もう実は絶版で、ぜひ再版をということで、足かけ1年半ぐらいの時間を要して、現在校正が終わった段階で、今年(1994年)の12月末には出したいなと思っております。
 その中に、単に地理的な内容だけでなくて、歴史的なこと、あるいは民俗、芸能。そういった事も極力入れて、この一冊の本があれば、どこにどんな物があるのかと、だれでもが訪ねられるのではないかなというような主旨で編集をしたつもりでおります。また出た際には、ぜひ手に取っていただければと思います。そして、県下78か所、今日お集まりの皆さんが住まわれている場所については、多分ほとんど網羅されているのではないかと思います。言うなれば、愛媛学の一つのガイドブック的なものではないかなというふうな、自負は持っています。こんな立場のところで、PRめいたことを言って、申し訳なかったんですけれども、御参考までに御案内をしておきたいと思います。
 それでは、今日の愛媛学の話し合いの総括ということで、小木先生、よろしくお願いしたいと思います。

小木
 総括なんてとんでもないんで、皆さんのお話を、こちらが勉強させていただきました。ただ、二つ気付いた事をちょっと申し上げたいと思います。
 一つは、西口先生がおっしゃった、一定の方向をつけろという話。これはもうもっともで、何でもかんでも全部、間口さえ広げればいいなどと、私はそんな事は申し上げるつもりはないのです。大事なのは、発想から始まって、どこかへ収斂(しゅうれん)して行く場が、必ずできますと。その結論を、無理やり押し付けるのはやめた方がよいということを申し上げたい。私の場合は、それを歴史学とか民俗学、社会学、それから建築学、美術史学、芸能史学、こういう範囲に絞って、都市特性とか地域特性を研究しようということをやって、今まで8年間やってきたわけです。
 最初、すぐつぶれると思いましたら、続いてしまって。今、人が多くなって、会場が狭くて困っているのですが。この参加者はどういう人でもいいんです。一生懸命やる人ならば、主婦であろうと、専門にやっていない人でもいい。けれども義務としては、必ず1年間に1度は研究発表をしなければいけない。そういう決まりはあります。ですが、やり方としては、できるだけ学問の問口は広げて、学際的にやった方がいいだろう。可能な限り自由度を尊重する。そういうことが一つ。
 それからもう一つはですね。県やあるいは市が、そのシステム作りをして、それでやって行く方向がいいということを、ちょっとおっしゃったのですが。私は市と県とか、そういう地方自治体が推進する母体になることは大賛成です。ですけれども、やっぱり学問というのは、民間でやるべきことであってですね。学問を指向するならば、ただそれにお金は出すけど一切口出しはしないと。沢山お金を出して、それでどうぞおやりなさいという形が一番理想的だ。そうはなかなか行きませんから、そこらへんをどこで調和するかというのは、まさにまあ、腕ということになるかも知れませんけれども。あんまり、地方自治体との関連だけを考えるのはどうか。しかも内容の枠組みを作るというようなのは、あまり賛成できない。私はそう思います。
 もう一つはですね。特に、二宮さんのおっしゃった言葉ですね。キャッチフレーズにありました「あるんですらい。」と。これを聞いていて、もう音の響きがものすごくいいんですよ。これは「あるんでしょう。」ということでしょう。「ですよ。」では全然意味がないんです。「あるんですらい。」と言うと、もう美学ですよ。その言葉は日常お使いになっているから、おわかりになりにくいかもしれませんが、これは大変な財産です。そもそも東京弁なんてありゃしないんですよ。あれは田舎の人と江戸っ子が混ぜて作った混合語で、標準語でも何でもないんです。そんなものを学ぶ必要は全くないんです。ぜひ地域の言葉を大事にしていただく運動を、やっていただきたい。それが地域学の一番最初の出発点ではないだろうかと思いました。
 それから、「かくしゃくジェネレーション」とか、「ふるさと不思議紀行」とかの、ネーミングのうまい方がいらっしゃるというのは、愛媛学にとって非常に大事だと思います。それはどうしてかと言うと、これは先程来、先生がおっしゃった、どこかにアピールをしなければならない。そのアピールをする一番元は、江戸時代から、東京が一番いいんです。大体、諸国の大名というのが文化の交流をしていた。そこで例えば、島津藩主が薩摩の焼き物を他の大名に贈ると、「いいじゃないか。」と江戸で評価された。また、彦根藩主が近江の牛肉を味噌漬にして持って行った。そういうものが土地の特産物になるというのは、全部江戸で評価されるんですね。今でもその形はあります。それが東京の役割だと思います。
 ですが、どこの地域も東京指向に陥ることは避けねばなりません。独自に地域のことを学ぶことこそが、地域学の出発点です。ここには素晴らしい先人の業績がありますから、簡単な事ではないでしょうが、それを乗り越えるぐらいの、皆さんの活動力があれば、これは素晴らしい愛媛学ができるだろうと思います。

穐岡
 どうもありがとうございました。先生方のお話から、愛媛学の進むべき方向が、明らかになってきたように思えます。皆様もこのトーキングをきっかけに、地域学を始めてみたらいかがでしょうか。それではもう一度、先生方に盛大な拍手をお願いいたします。