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四国遍路のあゆみ(平成12年度)

1 現代の遍路-太平洋戦争後から現代まで-

 我が国は、戦災によって廃墟(きょ)同然に破壊され、焦土化した。戦後における国民生活の再建は、食糧や住宅の確保からスタートした。食糧難は極限状態になって、多くの人は闇(やみ)市や食糧の買い出しで飢えをしのいでいた。
 山本和加子氏が「太平洋戦争末期から敗戦直後にかけては、国家非常事態、食糧不足、そして敗戦の混乱といった事態の進行のなかで、遍路は全くその姿を消していった。霊場には閑古鳥(かんこどり)が鳴き、建物も手入れが行き届かず荒れるにまかせ、四国遍路もこれまでの長い歴史の幕を閉じたかのように見えた。(①)」と述べているように、戦後の混乱の中では遍路は全くといってよいほど、四国霊場から姿を消していた。
 しかし、我が国は、朝鮮戦争による特需で経済復興を果たし、昭和30年代後半からは高度経済成長期へと発展し、今日のモータリゼーションの時代が到来する。そして世の中の落ち着きとともに次第に遍路も復活し、モータリゼーションの進展の中で、遍路の形態も「歩き遍路」中心から「車遍路」中心へと変貌した。車社会の出現により、修行や信仰よりも観光やレクリエーションに重きをおいた「観光遍路」が生まれ、四国遍路ブームが到来するなど、従来の四国遍路のイメージを一変させていった。