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遍路のこころ(平成14年度)

(2)遍路道で学ぶ②

 イ 遍路道を花で飾る

 四国遍路の道中のやすらぎになればと、へんろ道を花で飾る活動を続けている人たちがいる。その一部を紹介しておきたい。

 (ア)三間町の花街道

 北宇和郡三間町四十二番仏木寺前、県道宇和三間線(31号)沿いの約1.2kmには、行き交う人々や、旅人の疲れをいやすチューリップ街道、コスモス街道がある。この街道の花々は、則(すなわち)地区の人々の長年にわたるお接待の心の表現である。細谷昌子氏は『詩国へんろ記』に次のように記している。

   次の仏木寺へ向かう道はチューリップ街道。「コスモスの町・三間町」の看板があるところを見ると秋にはコスモスの
  道に変わるのだろうが、今は「チューリップ」。沿道から脇の農道まで、赤・白・黄の小ぶりの花が50センチほどの間隔
  で咲き続けている。たいへんな数だ。コスモスと違ってチューリップは球根だから、一つ一つ植えていかなければならな
  い。歩道には所々花壇もあって、そこも小さなチューリップで埋め尽くされている(⑩)。

   a 花街道の成立

 三間町の花街道が季節によって春はチューリップ、夏はポーチュラカ、秋はコスモスと花で飾られるようになったことには、三間町則地区の**さん(昭和24年生まれ)の努力があった。**さんは、三間町の仏木寺前の県道沿いに、昭和62年(1987年)からコスモスやチューリップの苗を植え、現在、コスモス街道やチューリップ街道など、花いっぱい運動を定着させた先駆者である。その**さんに話を聞いた。
 「三間町則地区の花いっぱい運動は、昭和62年に始まりました。昭和61年、則地区の公民館長のとき、地区の方に樽神輿(たるみこし)や子供たちの着用する法被まで作っていただき、この年の秋祭りは則地区始まって以来の豪華な秋祭りができました。
 このような地区の方々の協力に対して、子供たちで何か地区のために恩返しはできないものかと相談をしました。いろいろ子供たちのユニークな意見がありました。道端に花を植えたら皆さんに見てもらえて、近くに四十二番仏木寺もあるから町外の方にも見てもらえるということで、三間町の町花であるコスモスを植えてみようと、地区の集会で子供たちと道端に花を植えることを提案したら、猛烈な反対を受けました。道端に花を植えたら雑草が刈れなくなるという理由でしたが、ねばり強く説得し、ようやく保護者の協力も得て約3,000本のコスモスを植え付けました。花が咲いてみると非常に好評でした。多くの方々にお褒めの言葉をいただきました。疲れた体が癒された、心が和んだなどとのお話をいただきました。
 また、秋のコスモスだけでなく、春の花チューリップを植えることを集会で提案しました。しかし、自分の家の花壇に植えてもなかなかできにくいものを、果たしてできるのか、年に1回のコスモスだけにせよとまた反対されました。個人で植える分についてはいいのではと言われ、1,500球程度のチューリップの球根を個人で購入し、子供たちの協力を得て、約800mの道端に植えてみました。平成元年の春にこれが見事に咲きました。これが現在のチューリップ街道のきっかけになりました。そのうち建設省の道路100選にも選ばれ、県も遊歩道公園整備事業計画の一環として、1.5mの歩道を設置することになり花壇ができました。現在、4,000球の球根を植えています。しかし球根を植えるにしても、苗を育てるにしても財政的な裏付けが大きな課題です。現在、成妙小学校『緑の少年隊』の野外活動と三間高等学校の農業実習で花壇の一角のお世話をお願いしています。地元の学校の協力が現在成功している大きな要因になっていると思います。約15年の年輪を刻んだ花いっぱいの町が定着し、仏木寺にお参りに来られる方々にも喜んでもらえてうれしく思います。
 コスモスはちょうど台風シーズンに成長するので、風で倒れたりすることがあります。それを皆が竹を持ち寄り支えをしたりしました。そのような作業をしているとき、コスモスの折れた枝にアイスクリームの棒が支えとして縛ってありました。子供たちは、折れたコスモスの枝を、木の枝や、アイスクリームの棒で添え木にすると、コスモスの枝がつくものと信じて、修復していました。自分たちが植えたものだから、学校の帰りにしたものでしょう。本当に涙が出ました。これだけ思ってくれている子供たちの純真な気持ちを大切にしてやりたいと思いました。忙しいとか、しんどいとか言っているようでは子供たちに申し訳ないと思いました。
 また則地区の6年生の子が、コスモスの花をたたいて倒している他地区の子供に対して思わず暴力を振るった事件がありました。子供たちが丹精をこめて育てたものに対しての思いが起こした事件でした。仏木寺前のコスモス街道で学ぶ子供たちにとって、これが、将来への成長の糧になればと思っています。
 歩き遍路の方や、近くの民宿に宿泊された遍路の方々から、本当に美しい花を見ることができました、ラッキーでした、と言ってもらっています。私も10年以上経った今、これだけの花街道になるとは思ってもいませんでした。美しい花の陰では、多くの方々が汗を流しています。この取り組みは残したいではなく、絶対に残さなくてはと思っています。最後に一人になっても残します。」

   b 三間町立成妙小学校の取り組み

 三間町の成妙(なるたえ)小学校は、仏木寺の近くにある。成妙小学校では、「総合的な学習の時間」を中心に自分たちの郷土を知る、地域に根ざした学習を行っている。その一つとして花作りを中心にした、環境美化活動がある。仏木寺への遍路道は、春はチューリップ街道、秋はコスモス街道として知られ、学校においてもこの街道の花の世話分担をはじめ、町が取り組んでいる「花いっぱい運動」に積極的に協力している。
 三間町立成妙小学校に勤務している**さん(昭和23年生まれ)、**さん(昭和31年生まれ)に聞いた。
 「成妙小学校は、全国組織『緑の少年隊(⑪)』に加盟しており5、6年生が、平成元年度からチューリップやポーチュラカの植付け作業を行っています。学校としても地域の方々と協力して町が提唱している『花いっぱい運動』に取り組むようにしました。札所が近くにあることから、このような活動を通して、遍路さんへの思いやりや、遍路道での学習ができるものと思います。活動時間は、『総合的な学習の時間』を利用し、年間指導計画の中に位置付けています。そのテーマは、5年生が『身近な環境について考えよう。』、6年生が『地域に学び、共に生き方を考えよう。』です。平成14年6月3日の『総合的な学習の時間』でポーチュラカを植え付けました。これまでに植えた花の種類は、チューリップ、ポーチュラカ、コスモスと3種類ありますが、コスモスについては、則地区の方に種をまいてもらっています。見ごろは、チューリップが4月15日ごろ、ポーチュラカが7月後半~8月初め、コスモスが10月20日ごろから11月上旬です。これからも花作りを通して子供たちの情操教育を深めたいと思います。」
 平成14年6月3日のポーチュラカの植付けをした6年生は日記に次のように記している。

   ○ ポーチュラカを植えた 6年 A君
     則のチューリップ街道に植えました。今年の種類は、白、赤、ピンク、黄色の4色を植えました。植え方を教えても
    らいに**さんにきていただいて手伝ってもらいました。ポーチュラカを植えたのは5、6年生です。緑の少年隊とし
    て行きました。夏にはきれいな花が咲きます。見に来てください。
   ○ 行列をつくるポーチュラカ 6年 Bさん
     今日は、5、6時間目に則チューリップ街道に行って、ポーチュラカを植えました。私は、赤、白、黄、ピンクの4
    色のうち赤を植えました。思ったより、大変でした。あせがだらだら出たけど、みんな暑そうだったのでがんばりまし
    た。終わったら、4色のポーチュラカがずらーっと並んでいました。きれいに咲くのが楽しみです。

   c 愛媛県立三間高等学校の取り組み

 三間町にある三間高等学校では、地域に根付き、地域に貢献できる学校づくりの一環として、チューリップ街道、コスモス街道の花壇作りに協力し、地域の方に感謝されている。特にチューリップの植付けに関しては、三間高校に勤める**さん(昭和37年生まれ)の考案した植付け機によって整然と植え付けられ、見る人を感嘆させている。**さんに話を聞いた。
 「平成10年、則地区の公民館長**さんから仏木寺前、県道の花壇作りに協力してくれないかとの話が学校にあり、その年にポーチュラカの苗を立てました。平成11年から植付けを始めましたが、則地区から三間高校が植え付ける花壇の区画割りがあり、手作りの三間高校の看板を立てて、生徒に自分たち三間高校生が植え付けたという意識を持たせようとしました。ポーチュラカの植え付けは農業機械科の3年生が担当してきており、チューリップの植え付けは同科の1年生が担当しています。作業は、総合実習、課題研究の時間や、農業クラブのボランティア活動の一環として放課後などを利用しました。
 チューリップの植付けに工夫をしたことが地区外の方から賞賛され、植付け方法の問い合わせがありました。指導は農業機械科の教職員6名が当たっています。地域の方や、札所へ巡拝にこられる県内外の方に見てもらえる訳ですから、力も入ります。また生徒も咲いた時の喜びと、皆さんに褒めてもらえることで熱心にしてくれます。平成14年6月にはポーチュラカの苗、2,000本を植えました。夏の水やりが大変だと思います。地域に開かれた学校づくりの一端を担っていると思えばやりがいもあります」

 (イ)御荘町花いっぱいのまちづくり

 南宇和郡御荘町平城に四十番観自在寺がある。観自在寺から御荘町の旧市街地を宇和島方面に西に向かうと、旧国道と国道56号が交差する八幡神社前に出る。この交差点に手入れの行き届いた花壇がある(写真3-1-22)。この花壇は愛媛県立南宇和高等学校農業科の生徒たちが「御荘町花いっぱいのまちづくり」の一環として御荘町から依頼を受けて世話をしている。春にはマリーゴールド、秋にはパンジーが整然と咲き誇り、地元の人はもちろん、県内外からの車の人たちや札所巡りのお遍路さんの心を和ませている。この花壇を生徒と共に管理している南宇和高校に勤務している**さん(昭和30年生まれ)、**さん(昭和34年生まれ)に花壇整備についての話を聞いた。
 「国道56号御荘町八幡神社前交差点花壇の管理について、御荘町からの依頼があり、南宇和高校は、郡内に唯一の高等学校であり、普段から何かにつけて町にお世話になっているので、農業科生徒の実習授業の一環として協力することにしました。
 平成11年に、国道沿いに約400m²の花壇ができました。花壇の管理について、学校にも協力してもらえないか、という相談がありました。そこで、花苗の準備、植え付けは学校で、花苗代金、管理に要する経費(肥料、農薬等)は御荘町で、植付け後の管理は両者で行うこととし、花壇での花栽培が始まりました。この場所は車の往来が激しく、学校としても交通事故などの心配もありました。しかし、地域の方や、巡拝にこられる多くの遍路の方に見てもらえる作業ということで、先生方と生徒たちが協力して熱心に整備をしてくれました。
 御荘町平山地区に高校の柑橘(かんきつ)農場があり、生徒たちはこの花壇のそばを通って農場に行きます。その時、花壇の中に空き缶があったり、花壇が踏まれていたりすると、自分たちが丹精こめて育てた花であるだけに生徒たちは非常に憤っていました。そのような意味では、遍路道を花で飾り、遍路道で学ぶ心の一端が生徒にも育っていると思います。1回の植付けに約5,000本の苗が必要で、総合実習・草花の時間を中心に生徒の育苗実習として、生徒に経験させています。」

 (ウ)明石寺への遍路道沿線の花壇整備

 宇和町明石に、地元では古くから「あげいしさん」の名で親しまれる四十三番明石寺がある。この道筋には、春ともなると行き交う遍路の白装束が多くなってくる。その遍路のやすらぎになればと遍路道の一部を花で飾る活動をしているグループ「宇和町田野筋ボランティアの会」がある。
 活動の場所は、愛媛県立歴史文化博物館建設にともなう道路建設のとき空き地となった、県道鳥坂宇和線沿いの場所である(写真3-1-23)。そこは、県内外からの多くの人が通る場所であり、明石寺の入口にあたるところから、以前から何とか有効利用できないものかと検討がなされていた。平成12年度に、「田野筋ボランティアの会」と「宇和高校農業クラブ」の生徒たちの献身的な作業により、その空地に花壇が完成した。現在、お遍路さんの行き交う明石寺の入口にふさわしい花壇となり、その内容も年々充実し見ごたえのある花壇となっている。「田野筋ボランティアの会」代表の**さん(昭和5年生まれ)に話を聞いた。
 「私たちは、地元に目を向けた環境整備活動をしようと、この『田野筋ボランティアの会』を始めました。私たちの集落明石地区には四十三番明石寺があり多くの方が来られます。この空き地の荒れた場所は何とかならないものかと思っていましたが、宇和高校にも協力してもらい何とか見られる花壇になりました。多くの子供たちが通学路としても利用しています。遍路に来られた方や通学する多くの子供たちがきれいに咲いた花を見ることにより心が癒されることができればと思っています。私たちのグループは、愛媛県が実施している『愛媛ふれあいの道』の清掃・美化活動をする参加団体の『道路里親』にも認定されています。私たち会員約100名は、この活動を若い人たちに理解していただき、その輪が広がり、皆さんの協力でこの遍路道が、以前のような自然豊かな道として生まれ変わってくれればと願っています。」

写真3-1-22 南宇和高校生が管理する花壇

写真3-1-22 南宇和高校生が管理する花壇

御荘町平城。平成14年7月撮影

写真3-1-23 「田野筋ボランティアの会」が世話する花壇

写真3-1-23 「田野筋ボランティアの会」が世話する花壇

宇和町卯之町4丁目。平成14年7月撮影