データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

わがふるさとと愛媛学Ⅳ ~平成8年度 愛媛学セミナー集録~

◇コンサートによる町おこし

 失礼します。松木です。
 私のワークショップの発表としまして、町おこしの道、町おこしへの出発点と偉そうなことを書いておりますが、私が小松町の商工会青年部に入り、青年部活動を通して、小松町のいろいろなイベントや事業を企画・運営したうちの、幾つかのお話をさせていただけたらと思います。
 私も、40歳になりました。皆さんから見れば、まだひよっこなのですが、小松で生まれ、4年間だけ大学でよそへ行き、あとの36年間は小松町に住んでおります。18年前に、大学を卒業して小松へ帰ってきて、家業を継いで商工会の青年部に入らせていただきました。私の町おこしへの参加は、青年部に入ってからが活動の始まりだと思います。
 その当時は、皆さん知っておられるように、カラオケ大会が流行し始めたころでした。私が青年部に入ったときには、その活動の中で毎年8月にカラオケ大会をしておりましたし、カラオケ喫茶などのブームもあり、大会よりはそちらのほうへ行くようになったり、また、いろんな所でカラオケ大会も始まっておりましたので、もっと何か違った町おこしはないかなと考えておりました。
 その中で、私の先輩などからは、石鎚山ヘヘリコプターを飛ばすような案もでました。これは1回やりましたが、石鎚山の天候不良のため、山の頂上には降りませんでした。また、昔からある楽車(だんじり)の復活なども、町おこしの出発点ではないかと思っておりました。
 ところで、なぜ町おこしが重要かというと、自分が住んでいる「私の町、小松」をみんなにPRし、知っていただきたいということです。
 町おこしというのは、いろいろなものを「おこす」ということで、さまざまな考えがあると思います。私の場合、小松という町を畑を耕すように、仲間と考えながら掘っていって、その中で出て来る「小松のあそこを掘ったら、こういういい案があるのじゃないか。」というような考えや意見の中から、町おこしの一つ一つが出てくると思うのです。
 その結果、「コンサートをやったらどうか。」となったのです。なぜコンサートをやろうとしたかというと、10年くらい前に私がまだ青年部に入って間もないころ、ある先輩に、「中央公園ができて、立派な会場もあるし、コンサートをやろうじゃないですか。」と提案したのです。ところが、その先輩から、「それじゃ、お前が部長になったら、やったらどうか。」というようなことを言われ、それからずっと頭の中には持っておりました。しかし、一人では、町おこしはできません。そうするうちに、6年前に私が青年部の部長になり、いろいろ考えたところもありましたが、私の頭の中のこの小さな構想からコンサートということになってきたのです。それが1992、93年(平成4、5年)と2回行いました「リンドバーグコンサート」と「ハウンドドッグコンサート」です。
 このコンサートの題名を、夢と遊ぶというのをひっかけて、「夢遊コンサート」としました。どうしてかというと、小松でコンサートをすることなど、夢ですよね。私も夢だと思っておりました。この夢を実現して、それから、そのコンサートに、ただお客さんを呼んで見せて聞かせるだけではなしに、自分たち青年部員や小松の若者も、やりながら楽しんで、コンサートを企画・運営していこうというような感じで名付けたのです。
 「リンドバーグコンサート」は、暑い夏の盛りの1992年8月23日にしたのですが、その案が出たのが、だいたい1年前の9月ごろです。それからここにおられます町長さんの所へ行き、「青年部でコンサートをやりたいのですが、協力をお願いします。」と言いました。すると、町長さんも、「それじゃあ応援するから、やってみたらどうか。」ということで、始まったわけです。
 初めは、田舎の若者のちょっとした考えのコンサートですから、まあ4、500万円あったらできるのじゃないか、くらいに考えておりましたが、結局、最後には何千万円というような金額になってしまいました。
 やり始めたからには、もう後にはひけません。先程、正岡先生が「不可能が可能になる、可能が不可能になる。」と言われましたが、今考えると、私たちは、「不可能を可能にしたい。」と思って、やったのじゃないかと思っております。
 このコンサートも、今日のテーマの道に例えますと、歩いたことのない道です。我々みんな、このコンサートをどうやってやるかというのは、歩いていないのです。今から自分たちで、一つ一つ見つけていかなければいけない、手作りコンサートでありました。お金もありませんし、何もかもありません。まるで、最初は高速道路でスムーズに行けるのですが、途中からは、山あり、谷あり、岩も落ちていたりするような、そんな道を一つずつクリアしながらのコンサートになったわけです。コンサートにあたり、未知の世界ですし、我々だけではできませんので、スタッフの募集をやったりして、町を巻き込んでの大イベントに、知らず知らずのうちになっていった次第です。
 コンサートの直前の準備は、まず、ステージ作りから始めました。この会場よりもっと広いステージを、丸1週間かけて、手作りで作りました。そして、コンサートの当日、私は最初に挨拶するのでステージに上がり、パッと顔を上げて挨拶しようとすると、あの中央公園が8,000人の観衆で真っ黒なのです。私は、挨拶を考えていたのですが、「わあ、すごいな。」と思った瞬間に、言葉が詰まり、何を言ったか分かりませんでした。後でビデオを見て、大変恥ずかしい思いをしました。
 その後、町長さんにも挨拶をしていただいたのですが、その中で、「この新しい企画のコンサートも、私の考えている文化に入る。」と言われ、大変うれしく思いました。