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わがふるさとと愛媛学Ⅳ ~平成8年度 愛媛学セミナー集録~

□ふるさと再発見-愛媛学の楽しみ(コーディネーター:寺谷 亮司)

寺谷
 神崎先生、貴重な御講演をありがとうございました。先生のお話は、文化とは地域生活における「クセ」であり、この「クセ」を、おじいさん、おばあさん、あるいは地域の古老から学ぶことが大切だということが要点だったと思われます。また、その前には、地元の4名の方にそれぞれの立場から、貴重な御発表をいただきました。
 パネルディスカッションについては、あまり時間がありませんので、私のほうで若干テーマを絞らせていただきたいと思っております。愛媛学も今年度で6年目ということですが、愛媛学の一層の発展を目指していくために、どのようにすれば地域における文化的活動の拠点や組織を新たに築くことができるか、またそうした既存の組織をさらに維持、発展させるにはどうしたらよいかといったことを一つのテーマとしまして、日ごろから考えておられる留意点やコツ、あるいは逆に、こういった点はダメだというようなアドバイスなどを、まず今日の講師の先生方からうかがいたいと思います。それでは先程の発表順になりますけれども、まず三木さん、お話をうかがえますでしょうか。

三木
 失礼いたします。私は、先程、水の話をさせていただきました。実は、これは皆、地元の古老の方々にインタビューをして集めたものです。そして、先程ちょっとだけ労働歌の話をして録音を聞いていただきましたが、これを歌っている方は、既に亡くなっているのです。
 こういう具合に、神崎先生がお話になったような昔の文化が、どんどん消えていっている。だから私たちにとっては、昔のものを、もっともっと大事にしないといけないのではないか。こんなふうに思います。
 それで、私の発表にちょっと付け加えさせていただきますと、特に私は、自噴水にこだわっております。西条にお住まいの方の中でも、もうすでに自噴水のおいしさを知っている人は、あまりおりません。それは、「うちぬき」からパイプを引きまして、モーターを動力源とするポンプの力により、家まで水を引いてきているのがほとんどだからです。これを「うちぬき」だと思っているわけですが、本当は違うのですね。常に自噴している水と、いっぺん止めまして温まってしまっている水を飲むのとでは、もう味が全然違います。
 水が出っぱなしという状態は、地下に水が余っていて水圧がかかっていることを示します。従って、自噴している間は、水は地下に潤沢にあるということです。ところが、それをホンプで吸い出すというのは、砂利の中に入った水を強制的に抜くわけです。強制的に抜くとどうなるかと言うと、どんどん地盤は沈下します。地盤が沈下するだけではなくて、たとえば農薬などがまかれている田んぼの水を引き込んでしまったという例もあります。
 だから、水が自噴している状態というのは、人間にとって、絶対安全なのです。水が砂利の間をろ過されてきて、なおかつあり余って出ているのだというように考えると、私は、これこそ飲み水であるというふうに思っております。
 私がこういう話をしますと、自噴水が日本中どこにでもたくさんあるのではないかと思われるかもしれませんが、実はそうではありません。
 千葉県の利根川流域には「上総掘(かずさぼ)り」で抜いた「うちぬき」がたくさんありましたが、もう既に出ない状態です。それから岐阜県大垣市も「うちぬき」で有名ですが、今ではもうほとんど水は出ないと聞いております。富山県でも同様で、現在日本全国で、自噴水は数県・数地帯で残っているだけです。「やがて水を争う危機、つまり飲料水を争う時代がくるかもしれない。だから、『自噴水は大事にしないといけないのではないか』ということを、ぜひ全国に向かって西条から発信してほしい。」ということを、ある方から言われたことがありました。
 話があちらこちらになりましたが、私自身は、古いことを大事にしていきたいということと、古くからある自噴水を、我々はもっともっと大事にしないといけないのではないかと、こう思っております。

寺谷
 はい、どうもありがとうございました。三木さんは、地域の生活文化を、全国へ向けて情報発信することの大切さをおっしゃられたように思います。続いて、森田さん、お願いします。

森田
 先程も申し上げましたとおり、馬の飼育はかなり大変で、私も「お供馬」の維持に相当苦労しております。「愛馬会」の仲間も高齢化が進んでおり、その後継者がなかなか見つからないという状態となっております。
 私が馬を飼い始めた1960年(昭和35年)当時、23頭ほどの馬がおりましたが、その後、年々減っていきました。そして、今年(1996年〔平成8年〕)のお祭りには16頭が出ましたが、この頭数はもうこれ以上増えることは、ちょっとないように思います。10頭になってしまったら、この無形民俗文化財に指定されている「お供馬」も続けることができないのではなかろうかという、相当重大な危機と言いますか、時期にきております。
 馬を祭りのためだけに飼っておりますので、周りからは「変わり者」のように見られがちです。でも、そう見られても、本当に馬のとりこになっておりまして、飼うのをやめられなくなっております。私も、まだまだ5年や10年はやれると思いますので、できるだけ最後まで残って、できるだけこの伝統ある行事を続けたいと思っております。
 10月10日の菊間の祭りには、ぜひおいでください。観客が多かったら、「愛馬会」の仲間もやめるにやめれなくなりますので、そういうムードづくりに協力していただけたらと思います。

寺谷
 ありがとうございました。森田さんのお話では、地域の伝統文化への愛着がひしひしと伝わってきたかと思います。それでは次に日野さん、よろしくお願いいたします。

日野
 失礼します。砥部町は、歴史もあるし、また、「砥部焼き」というほかにない非常に優れたものを持っているとてもいい町です。私たちはこの砥部町を、さらに内容の豊かな町にできないだろうかということで、会を運営しております。活動を始めて最初の時期は、フォーラムを開催したり、砥部町にある総合運動公園の進入路に、砥部焼きの陶板や柱の列のデザインなどを手掛けたりして、かなり活躍したわけです。しかし、自分の本業以外に会の活動をするというのが次第に負担になって、現在は活動を休んでいるという会員もおります。ですから、こういう町づくりの会をやる場合には、まず参加している者が楽しくなかったら、続かないなと思います。今日は、私以外の3人の方の研究発表をおうかがいしましたが、それぞれ楽しみを見つけて、本当に楽しくやってるなと思いました。
 1995年(平成7年)10月、国連創設50周年の寄贈品として砥部焼の地球儀が、国連欧州本部(ジュネーブ)に送られました。そのきっかけになったのは、会員の松崎修明さん(砥部町出身、東京在住)が、「行政側からの働きかけのみではなくて、砥部町全体の住民運動としても盛り上げてはどうだろうか。」と考えて、まず、私たちの会を思い浮かべ声をかけてくれました。結局は、砥部町が「ぜひ、やろう。」と積極的に活動して寄贈されたわけですが、こういうように、ちょっと行政ではできない場合、それから個人的に、こういうことをやってみたいなと思っているが、一人ではできないというような場合など、自分の考えや活動を外へ発表する場として、私たちの会を使っていただけたらと思います。
 それからもう一つ、毎年6月に、復活した水車のところで「ホタルを見る会」を催しています。年に1度、その時だけしか会わない人もおりますが、けっこう集まっていただいて、楽しんでおります。こういう楽しい催しがあるから、なんとか会を維持できています。まず楽しんで活動することが第一ではなかろうかと思いました。以上です。

寺谷
 ありがとうございました。楽しみながら、地域づくりの実践活動をしていこうという御提言だったかと思います。それでは続いて、秋田さん、お願いします。

秋田
 先程、神崎先生が「クセ」の話をされましたが、私もまったくその通りだと思います。古文書に出てくる地名とか、今はあまり使われていないような小字(こあざ)名、言葉遣いなどが、その「クセ」にあたると思います。ですから、古文書はなるべくその地元の方に解読していただきたいと思います。他の地域では分からないことが、いっぱいあります。現在、明治生まれの方が少なくなってきておりますが、古文書に出てくる伝統行事とか昔の地名とかは、そういう明治生まれの方たちの聞き取り調査をとおして読んでいくと分かりやすいのです。このような形で古文書を読む輪が広がっていくといいのではないかと思っております。

寺谷
 はい、どうもありがとうございました。それでは最後になりますが、神崎先生に、今までの地元の発表者の方々からのコメントなども踏まえて、愛媛学のさらなる興隆のためのアドバイスなどを、そしてできましたら、今日のシンポジウムの総括もしていただければと思います。神崎先生、よろしくお願いいたします。

神崎
 たぶん総括は必要ないのでありまして、話したいことを、それぞれが交代でお話になるのが、この「愛媛学トーキング」の趣旨だと理解しております。こういう機会があることを、まずうらやましいと思います。また、「愛媛学」という名称だと、固いイメージでとらえられ、メンバーが広がりにくいという御意見もありましたが、私は、これはこれで頑固に続けられるべきだろうと思います。それで、我々以外に、皆さん方も、もっともっとここへお出になって、御意見をお話になるような機会が増えてくればよろしいのではないかと思っております。
 それでは、なぜ、今こういうように改めて「愛媛学」を提唱しなければいけないのか。これは、日本全体でいいますと、戦後、日本が歩んできた道の軌道修正が始まっているからであります。その要因の1つは何かというと、日本が極端な工業化社会への転換に失敗したということなのです。
 もちろん工業化社会が発展したことによって、現在、我々は非常に便利な生活をしております。自動車で簡単に移動できますし、四六時中、テレビも洗濯機もガスも使える。しかし、やはり一方では、たとえば、本日はからずも三木さんがおっしゃったように、水の問題が出てきている。地下水が枯渇し、自噴するのは、西条とあと数か所だけというような状態になっているわけです。つまり、程よい工業化社会への軌道修正をしなければいけない。
 それと、この軌道修正にあわせてもう一つ反省しなければいけないのは、「日本社会のアメリカ文明化」ということであります。これは極端な言い方をしました。我々は「ヨーロッパを知っている」といいますが、それは観光旅行で知っているだけで、学問的知識としては、アメリカ英語で翻訳されたものを学者や文化人がしゃべっているものを聞いたという程度で、本当のヨーロッパを知っているわけではありません。イギリス人は、母国語であるイギリス英語で、ヨーロッパの問題を話すことを誇りにしております。それにアメリカ人が、アメリカ英語で茶々を入れることを軽蔑しております。つまり、これについては、「権威主義」とか「格式主義」という批判は一方にありますが、このような方法で知識を習得しております。それを我々日本人は、ヨーロッパという「象」のしっぽを握って、全体を知ったような顔をしている。その思い上がりが、今反省されなければいけない。
 私は、文化というのはクセだと言いましたが、日本というのは、文字の使用にしても1,000年以上の歴史があるわけです。しかも、最近の青森県三内丸山(さんないまるやま)遺跡の発掘から、縄文時代は貧しい時代ではなく、ちゃんと食糧生産や加工・交易もしていたというのが、ほぼ明らかになった。そうすると、極端に言うと、1万年の単位で我々はクセを築いてきたわけです。アメリカというのは寄せ集めの移住社会であります。どんなにたどってみても、その歴史は350年間か400年間です。であるにもかかわらず、文化の問題を論ずるその手法をアメリカに習うというのは、批判を受けることは十分承知で極端に申しますと、日本人の誇りをなくしたということではないでしょうか。
 そこで、もう1つの反省は、そうした外国の文化現象や文明を取り入れることに一生懸命になって、自国の文化をないがしろにしてきたということです。先程、ことわざの話をしましたが、ことわざだけではなく、我々の先祖が代々築いてきた1万年のクセ、すなわち「文化」を、無宿状態にしている。それに対する反省をしなければいけないと思います。
 もちろん、政治改革も経済改革も必要なのですが、私は文化的な復活をしなければ、日本人の将来はないと思います。文化的な復活というのは、どういうことかというと、たとえば愛媛の人たちが愛媛のクセについてしゃべれるということなのです。つまり、我々日本人が、日本人のクセについてしゃべれるということです。
 一つ例を出しましょう。ある外国人をホームステイさせたとします。すると、彼らが一番初めに何にギョッとして質問してくるかというと、多くの場合、「どうして神様と仏様が一緒に祀ってあるんだ。」ということです。外国人を家へ迎えて奥の間へ通すと、そこに神棚と仏壇がある。これは、神道と仏教とを別な宗教と考える世界の宗教概念からすると、戦争が起きることなのです。
 こうした勘違いによって、ずいぶん世界で戦争をしている。しかし、我々日本人はそれをしていない。でも、「それは、どうしてなのか。」という外国人の問いかけに、うまく答えられない私たちは、いったいどういう日本人なのかということなのです。ただし、「ジャパニーズ・イズ・ナンバーワン」になってはいけません。これは困ります。それは「井の中のかわず」です。しかし、世界全体を見渡して、日本のこの部分は誇りがもてるはずだ。しかし、説明をしなければ、外国の理解は得られないだろう。であるにもかかわらず、その説明ができないため、結局、日本の文化に誇りがもてない。私はこのような日本人を、いつまでたっても国際化ができない日本人だと考えます。自国のことをきちんと話せて、他国のことも理解できること、これが国際化なのです。
 それから、文化というのは、しばしば対立概念として現れてきます。対立概念というのは、喧嘩(けんか)のきっかけになる。これはお互いのクセを認めあわずに主張して、「お前のこれはけしからん。」とやると、誰だって怒るわけです。だから、私は、お互いが主張しあって、なおかつ仲良くできるのが最も望ましいと思うのですが、どうも今の日本人には、主張をしないまま仲良くしようとするずるい部分が目立つように思います。
 例えば、恋愛を考えてみてください。「あなたの生まれた所はどこですか。」「あなたのご家族の構成は。」などと聞いて答えが出てこなければ、それはもう仲良くなれない。我々、聞くことは、テレビなどで十分慣れております。しかし、しゃべることになると、どうも不得意なように思うのです。言葉の遊びはするけれども、「梅干し」と「梅漬け」の区別もできていない。「おしんこ」と「おこうこ」の区別もできていない。キュウリの塩もみを見て、「おしんこ、いっちょう。」なんておかしなことを言っている。これはいけないことだと思います。
 ただ、文化というのは、金もうけになりません。だから、これまでのように工業化社会へ世の中全体が傾斜していった時代には、ないがしろにされてきた。しかし、これは、もう初めから金にならないものだと腹をくくってやらなければいけない。金にならないものを、誰がやるかというと、元へ戻りますが、高齢者の皆さん方です。一仕事なさって、年金であと少し、悠悠自適の生活をなさる人たちの最後のお仕事です。
 それで高齢者の皆さん方の、クセを伝えようとする活動についていくのは、生産者である我々世代ではありません。小学生、中学生、つまり、皆さん方のお孫さんの世代の人たちであります。今日は幸いにして、たった3人ですが、高校生のお嬢さん方がこの会場にお見えになっている。これが大事なのです。「人づくり」とよくいいますが、人づくりの手法というものは、私は、「門前の小僧」を置かないことには、どうにもならないと考えます。金にならない文化の活動というのは、息が長いものなのです。例えれば、リレーですね。我々はある1区間のランナーに過ぎない。そうするとリレーというのは、バトンタッチです。バトンを渡すバトンゾーンで、お互いにスピードを調節しながらバトンを渡すことによって、スピードのロスがない。このバトンゾーンにランナーがいない状態では、文化の伝達というのは無理です。ランナーとなる若い人をどうやってバトンゾーンに入れるか。そしてこれは、「門前の小僧」が3人いて、1人が残れば結構なのです。あまり多くを期待しないことも大事だと思います。

寺谷
 どうもありがとうございました。文化の重要性でありますとか、特に高齢者を中心に地域の文化を伝達せよという、力強い御助言だったかと思います。
 講師の先生方のお話から、自分の地域や文化を知ることの面白さや大切さが分かりますとともに、愛媛学のさらなる発展の方向性も明らかになってきたように思います。ちょうど予定の時間が参りました。それではもう一度、先生方に盛大な拍手をお願いいたします。