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わがふるさとと愛媛学Ⅴ ~平成9年度 愛媛学セミナー集録~

◇阿波でこ修復の経緯

 傷ついた人形頭をなんとか今のうちに修復しておかねばならないと、心ある人たちは考えていたのですが、その当時、頭1体の修理費用が40万円という見積もりで、とても財政事情が許さず、人形はほったらかしになったまま10年が過ぎました。
 昭和55年(1980年)ころより、鬼北ライオンズクラブが中心となって修復運動が起こったのです。北宇和郡の婦人会の会誌や文化協会の機関紙などに、鬼北文楽保存についての記事が載りました。特に婦人層の強い支持があったことは、この運動の大きな力となったのです。また、昭和56年12月には、鬼北ライオンズクラブ主催による文楽修復費助成チャリティ絵画展が催され、世話役の富山義さんの熱意も加わって、文化財保護への関心も高まり、思わぬ浄財を得ることができました。
 こういった保護運動と県の補助体制も整って、天狗久の流れを継ぐ阿波でこ製作保存会会長で人形師の田村恒夫さんに修理の依頼をすることとなったのです。田村さんの献身的な取り組みにより、第1期修理10体と第2期修理17体を完成することができました。また、徳島市の阿波人形研究家、久米惣七先生にも大変お世話になりました。久米先生は、現在95歳ですが、若々しい情熱を持った博学自在な研究家であり、歌人でもあります。そして、70年ほどの間、阿波の人形をこよなく愛しつづけた人でして、天狗久の仕事場(徳島市国府町)の近くに住んでおられましたので、足しげく仕事場に通って、生前の初代天狗久の仕事ぶりを見たり話を聞いておられたようです。私は、このたびの人形修復の関係で、先生にお目にかかる機会がありましたが、会うたびに先生から、天狗久の金に無欲で一徹な仕事師であったなどの人柄や、人形忠・人形富とのかかわりなども聞かせてもらいました。阿波でこの技術を継承する人形師を紹介していただいたのも、久米先生でした。
 修復が完了した次の年の昭和59年(1984年)2月から、同好者や青年団有志で結成した文楽保存会が、「傾城阿波の鳴門・順礼歌の段」を練習し、昭和61年11月には33年ぶりに「広見町芸能まつり」で上演するようになりました。さらに、昭和63年10月には、ふるさとづくり推進事業で三番叟(さんばそう)2体(人形恒の作)を新しく購入しました。
 現在、初代天狗久作のお弓と、人形恒作のお鶴が浄瑠璃に合わせて、親子の情愛を演じる人情芝居を大人はもとより、青年、子供に至るまで、真剣に見ていただくようになり、鬼北文楽は生き返ったのです。