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わがふるさとと愛媛学Ⅴ ~平成9年度 愛媛学セミナー集録~

◇「宝島」からのメッセージ

 この他、惣川には、坂本龍馬脱藩第一歩の地とか、大野ヶ原のブナの原生林や羅漢穴(らかんけつ)という愛媛県で一番大きい鍾乳(しょうにゅう)洞など、非常にスケールの大きい自然や文化の遺産がたくさんあるのですが、今から10年ほど前は、それらがあまり生かされもせず、また、都市から学者や学生が来たりというようなことはほとんどない里だったのです。その里で、地元の若者たちを巻き込んだ私の活動は、地域の見直しと言いますか、そのための仕掛けに、少しはなったのではないかなと思っています。
 最近では、愛媛県下の民家研究者や写真家も惣川にやって来るなど、外との交流が非常に活発になってきました。そして、先程の土居家も、野村町が購入しまして、平成10年3月一杯には、修復事業が完了する予定です。こういったことをきっかけに、山村がもっともっと輝くような時代になっていけばいいなと思っております。
 最後に、ちょっと付け足しみたいなことになりますが、私は、作曲家の池辺晋一郎さんと、県立宇和養護学校野村学園分校で学ぶ知的障害者の皆さんが作った詩「どろんこの歌」を通じて、お付き合いをするようになったのですが、この方の言葉をお話しまして、終わりにしたいと思います。早速御紹介します。
 「僕はこのどろんこの歌の仕事を通じて、実に多くのことを学んだが、そのうち最大のものは、全てがIQ(知能指数)で測られるのが通念の現代の世の中に、もっと別な測り方を持ち込むことができるはずだと考えたことだ。感性指数も、そのうちの一つ。そしてこの指数に関しては、僕たちは、子供たちの前にひれふさなければならない。」
 今、池辺先生が使われた「感性指数」という言葉。これはやっと最近になって、一般にも言われるようになりましたが、この文章が出ましたのは、昭和58年(1983年)のことです。その当時から、池辺先生は、こういう観点、つまり障害者の方々と一緒にいろいろと学んでいこうという姿勢で、御支援をいただいているわけです。
 地域づくりということを考えた場合も、山村は、とにかく僻(へき)地で非常に暗い世界に思われがちです。しかし、そこに何も輝くものがないのかと言いますと、そうではなくて、宝物が一杯隠れています。ですから、そういったものを、都市に住んでいる方ももう1回山の中に入って一緒に探して欲しいし、またそのことを通じて、地元の皆さんの元気の素が、何か得られるような感じがいたします。山村と都市との交流の中に、21世紀に向けての豊かな人間のあり方というもののヒントがあるような気がいたします。どうもありがとうございました。