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わがふるさとと愛媛学Ⅶ ~平成11年度 愛媛学セミナー集録~

◇楽器作製の苦心

 さまざまな楽器のなかから、わたしたちは「陶琴(とうきん)」を作ることを考えました。そこで、地元の砥部小学校にお願いして、木琴と鉄琴を見せていただきました。それぞれの全体の大きさや構造、各部分の形や寸法、さらには共鳴の仕組みなど、細かく調べました。こうして集めた資料を基に、早速小型の陶琴を試作しました。出来上がった陶琴は、わたしたちの想像を超えるすばらしい音が出ました。このときわたしたちは、「よし、これで立派な楽器を作ることができる。」と確信したのです。しかし、これが大失敗の始まりでもありました。
 陶琴の作製方法は、幅約50cm、長さ約90cmの1枚の広い陶板から、けん盤用の陶片を切り取り、2オクターブ余りの音階が取れるようにしました。商工会青年部の部員には、砥部焼の窯元や建築業、板金業などさまざまな職種の方がいるのですが、楽器作りには銘々が得意の分野を担当しました。陶板の型はコンパネ(木製の型枠のこと)で作りますが、出来上がった陶板の中央が少し薄くなるように細工をします。この型作りは、建築業を営んでいるわたしが担当し、また陶板の原料は、窯元の部員に準備してもらいました。
 いよいよ陶板作りですが、それには、町内に所在する県立松山南高等学校砥部分校の砥部焼創作室に設置されている機械を利用させていただきました。午後7時ころ、それぞれの仕事を終えた部員が砥部焼創作室に集合し、作業に掛かりました。約3時間をかけて、4枚の陶板が出来上がりました。部員たちはとても疲れているにもかかわらず、作業を終えた達成感とこれからできる陶琴への期待感で、笑顔があふれていました。
 このあとの作業手順は、陶板を陰干しで乾燥させてから素焼きにし、それをけん盤用に4cmの幅で正確に切断する。その1枚ずつを、音階が取れるように長さを調節しながらさらに切断する。そして、それぞれをきれいに磨き、釉薬(ゆうやく)(うわぐすりのこと)を掛けて本焼きをする、となります。陶板が出来上がったとき、わたしたちは見事に完成した陶琴をすでに想像していました。
 ところが、それから二日後のことですが、陰干しをしていた陶板に異変が起きたのです。仕事場で緊急の連絡を受けたわたしは、陶板の様子を見に駆け付けました。あれだけ苦心をしてきれいに仕上がっていたはずの陶板のあまりにもひどい変わりように、わたしは言葉を失いました。陶板は機械の強い圧力によって作られたため、それだけ乾燥によって生じる反りもひどく、指が入るほどのひび割れができていました。
 しかし、わたしたちはこの大失敗にもめげず、新しいアイディアを考え付きました。それは、50cm掛ける90cmという広さの陶板からけん盤を切り取って作るのではなく、最初からけん盤用の幅の陶板を何本も作り、それぞれの長さを調節することで音階を取っていく方法です。この方法だとひび割れやゆがみができにくく、また音階を取ることも比較的容易です。けん盤の形は、部員がアイディアを出し合ってたくさんの試作をし、その中で最もいい音色が出るものを選び、その型の作製は窯元の部員にお願いしました。それから数日がたち、青年部の例会のときのことです。窯元の方が、砥部焼製のオカリナを持ってきて、それを吹いてみせてくれたのです。この時、わたしはとてもびっくりしました。それは音階も正確で、楽器としてしっかりとしたものであったからです。驚かされたのはそれだけではありません。彼によれば、ほかにもいろいろな種類の楽器ができると言うのです。さらに、こうした青年部の活動を聞き付けたある放送局から、楽器の作製風景や演奏会の様子を収録し、それをテレビで放映させてほしいという話をいただきました。わたしたちは、突然のテレビ出演のチャンスで、一層気合が入りました。それから何日もかけて、失敗を何度も繰り返しながら、オカリナを3種類、リコーダーを2種類、そしてフルート、マラカス、ボンゴ、トライアングル、ギロ、スズ、カスタネット、以上の楽器を作ることに成功しました。
 次は、演奏会の練習です。部員の多くは、最初はろくに楽譜も読めませんでしたが、御指導をいただいた先生の惜しみない努力と部員の頑張りとで、なんとか演奏会を成功させることができ、テレビの収録も無事に終わることができました。部員たちは、今までの苦労も忘れ、満足感と達成感にあふれた笑顔で一杯でした。わたしも、このような形で砥部町を広く宣伝することができて、本当に良かったと思いました。