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わがふるさとと愛媛学Ⅶ ~平成11年度 愛媛学セミナー集録~

◇城辺のカツオ一本釣りと珊瑚採り

武智
 それでは、スクリーンを御覧ください。

写真13
 これは、カツオを釣るための餌のホウタレとかキビナゴを捕る網の構造を描いたものです。

写真14
 これは、写真13の網で、ホウタレやキビナゴを捕っている様子です。

写真15
 これは、網が絞られまして、ホウタレやキビナゴが捕れている様子です。

写真16
 そして、餌が捕れますと、沖合いに出て、このように一本釣りを始めます。先ほどの石原館長さんのお話の中に出てきたものと、非常に似たところがあります。おもしろいのは、描かれている人々の中に。釣り竿(ざお)を出してない人物がいますね。この人は、おそらく餌をまいているところではないでしょうか。それから、中央の人物は、海面に水をまいて、波立たせている。雨が降っているようにしているのかなと思います。
 そこで、先ほどわたしが読み上げましたように、絵図の解説にはカツオ釣りに関連するさまざまな言葉が出てきます。苗配り、碆東風、入れ吹き、押し釣り、餌付け、餌床、張り玉、板網、昇り潮、入り潮、苦が潮などがそれです。それに、キビナゴとホウタレはわたしも分かるのですが、トロメンとはどんなものなのかよく分からない。このように、カツオ一本釣り漁業に限っても、我々が分からなくなっている言葉がたくさんあります。地域研究とかくらしぶりの調査の場合、やはりその基本となるのは、それぞれの地域独特の言葉の理解だと思います。そういう言葉の意味を現在知っている方たちが、ぜひきちんと記録に残してほしいと思います。

写真17
 次に、やはりこれもこの地域だけにしかない漁業なのですが、珊瑚採取の漁場を示したものです。城辺町のほぼ南の宿毛湾(高知県)沖に浮かぶ島々を描いたものですが、真ん中の島が、沖の島です。ですから、左手前から申し上げますと、柏(かしわ)島、蒲葵(びろう)島、沖(おき)の島、姫(ひめ)島、水(みず)島、鵜来(うくる)島という島がありまして、その島と島の間の瀬と言われている部分には、かつては珊瑚が生息していたという図です。

写真18
 これが、珊瑚を採る網です。もし、現在、城辺町のどこかにこの網が残っておれば、これはもう、望外の喜びであります。ぜひ、保存していただきたい。そして、探したけれども残念ながら見付からない場合には、網の作り方についての解説がありますので、それを基にぜひとも復元して、城辺町に保存をしていただきたいと思います。わたしは、そうした作業も、地域文化を掘り起こすことだと思っております。

写真19
 これが、珊瑚採りの様子です。1隻に3人が乗り組み、一人が櫓(ろ)を漕(こ)いで、残りの二人が網を入れ、そして珊瑚に網を巻き付かせて引き上げるという状況を描いています。

写真20
 これはもう、珊瑚が上がったぞと言って、大喜びをしているときの様子です。このような大きさの珊瑚が1本採れましたら、そのもうけで相当な額の借金が帳消しになったということを、城辺町の方からお聞きしたことがあります。

写真21
 昭和30年代になって、宇和海のイワシ漁は不漁となりました。この写真は、昭和35、6年(1960、61年)の風景です。そのころ、まだ城辺町には、このようなイワシ網が残っていました。この後、城辺町の漁業は養殖業に切り替わっていきます。

写真22
 これは、昭和36、7年、城辺町でのハマチ養殖の初期のころの様子です。筏(いかだ)が浮かべられ、冷凍魚を運んできてはハマチの餌にしています。ちょうど、イワシ網漁と養殖業との交代期のころの写真です。

写真23
 これも昭和35、6年当時の、かつてカツオ漁が盛んであったころのカツオ船とカツオの水揚げ風景です。下段の2枚は、天日乾燥でカツオ節を製造している写真です。現在では、機械乾燥になっていると思います。
 以上、御覧いただきました絵図や写真は、カツオ一本釣りにしましても、珊瑚採りにしましても、まさに城辺にしかないものです。わたしが聞いた話では、残念ながら城辺のカツオ船はだんだん少なくなり、現在ではわずかに2隻となったそうです。それでも、愛媛県でのカツオに関する情報の発信基地は、やはりここ城辺町だと思います。こういう意味で、先ほど石原館長さんもおっしゃったように、今後、カツオをどのように町の活性化のために活用させるかということが、城辺の人々に与えられたこれからの大きな課題になるのではないかという気がいたします。
 以上で、わたしの話を終わらせていただきます。