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わがふるさとと愛媛学Ⅶ ~平成11年度 愛媛学セミナー集録~

◇「これで、わたしたちの歴史が残ります」

 その後、3年ほどの間に、温泉旅館でずっと働いてきた人とか、あるいは「オナカマさん」などを訪ねました。山形では、目が不自由で、死者の口寄せを仕事にしている巫女(みこ)のことをオナカマと呼んでいます。さらに、行商をしていたという老人も訪ねました。この行商の話も、とてもおもしろかったです。その人はいつも自転車で行商をしていまして、ある時、山形から北海道まで自転車で砥(と)石の行商に行きました。クマが出るからやめろと言われたのを、制止を振り切って北海道中を売り歩いたということです。また、東京まで買い出しに行き、その帰り道にいろいろな所に立ち寄っては売り歩いたこともある、という話でした。
 あるいは、山形には満蒙開拓団(まんもうかいたくだん)(戦前、現在の中国東北地方へ渡った日本人農業移民団のこと)に参加した人たちがたくさんいます。その人たちの多くは、屋敷や田畑を全部売り払って大陸に渡っていますから、日本に帰って来ても何もないのです。ですから、また原野の開拓から始めなければならない。その開拓の50年間の歴史をうかがったことがあります。その時には、語り手として3人の方が待っていまして、わたしが座るやいなや、3人が一斉に話し始めました。これでは、わたしはとても話にはついて行けなかったのですが、話が終わった後で、わたしのようなよそ者を相手に何を待っていてくれたのだろうと不思議な気がしました。そして、2度目にお邪魔をして話を聞き終えて帰ろうとした時に、一人のおばあちゃんがわたしの背中に向かって、こんな言葉を投げ掛けました。「これで、わたしたちの歴史が残ります。」と言われたのです。わたしは、靴を履いて帰ろうとしている背中でその言葉を聞いたのですが、なにかゾクゾクッとしました。「そんなことは、とても自分にはできない。」と思いながらも、「ああ、この人たちはそういう思いで、わたしのような見ず知らずのよそ者が話を聞きたいとお願いした時に受け入れてくれたのか。」と、本当に背筋が寒くなるような興奮を覚えました。これはきちんと書かなくてはいけないという思いで、一生懸命に書きました。